日々の所感とその説明について#2
『グリルを見に行く足音の孤独』
これはある短歌雑誌を読んでいたときに歌人さんがもつ孤独の情景についての特集が書かれていて、それは自分なりに考えてみたものになります。
コンロの下にあるグリルで魚を焼いた夜のこと。その焼き加減を見に行こうとソファから立ち上がり、キッチンまで歩いている時のフローリングからなる足音にふと孤独を感じました。
魚の状態を見ることができるのはここにいる私1人で、誰かに見てもらうなんてことはできない。焼き加減の塩梅はわかるようになって自分で料理ができるようになったけれど、どの料理もそれは自分の身体に入る為だけに作られるという循環。再生産的で侘びさを感じる瞬間がキッチンには溢れているなと感じました。
『毎日数秒ずつズレていく感覚を取り戻すための無為な時間』
精神的な体調が悪く、毎日のようにぼーっとしなければいけなかった日々を過ごしていた時のこと。自分の思考や感覚が他人や公共の集団と少しずつズレていく様子がものすごくもどかしくて、どうにかその感覚を取り戻そうと、何も考えない時間で生活の大半を埋めていきました。一日中スマホを眺めてベッドにくるまり、ろくに食事も取らないまま時間だけが過ぎていく日々。ネットサーフィン以外に唯一できたことは読書だけでした。ストレスを感じることなく自分以外の人の感情を受け取ることのできる読書は、感情のバッテリーを充電するのにとても有効でした。そういう意味で言えば、あの時間は無為ではなかったのかもしれません。
『お互いの遠くなった距離を確かめるようにして』
友人とメッセージを送り合っていた時のこと。かつては毎日のように会話して、メッセージでもやり取りをしていたのですが、日に日にその頻度は減り、気づけば月に一回とか、そういう頻度にまでなってしまいました。そんな私たちの会話はどこか探り探りで、夜空の星を数えるように慎重になっていきいました。近づこうにも近づけない、どちらかが離れて、また近づいての繰り返しで疲弊した私たちの関係はいつの間にか言葉で言い表すことのできない距離になってしまいました。「それでもいいかな」と思ってしまった私の気持ちは、今のその人や、過去の私たちには到底理解できないだろうなと思います。
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