ケニア・ナイロビでの生活~Chuui誕生物語<中編1/2>~
【ケニア・ナイロビでの生活】
ケニアでは学校の寮で生活をスタートしました。午前中はびっしりスワヒリ語とケニア文化についての勉強。現地で長くNGO活動をしている方を講師に迎えた授業や実際に活動現場を見る機会もありました。午後は、授業で覚えた言葉を外に出て実際に使ってくるという時間帯です。
初めは土地勘もなければ治安の心配もあり、外出するのもおっかなびっくり。けれど、学校で言葉や文化をケニア人の先生から学び、ケニアの人々の感覚や考え方、文化を知っていくにつれて行動範囲も徐々に広がって行きます。また当時、学校には日本語を学ぶために通っていたケニア人の生徒もいたため、お互いの国の言語を学ぶ者同士交流し、何気ない会話から多くを学ぶ機会に恵まれました。
【ケニアでの仕事&アパートでの一人暮らし】
学校卒業後、念願かなって国際協力機関で仕事をする機会を得ます。また、同時に寮を出てアパートで一人暮らしをスタートしました。
ケニアでの一人暮らしは寮生活とは違い、当たり前ながら全てを自分でやらなければいけない環境です。日本とは違い便利さと程遠いケニアの生活は慣れるまでなかなか大変でした。
職場は、日本人とケニア人スタッフが連携を取りながら仕事を進める環境でした。日本人に比べ通常はゆっくりペースのケニア人ですが、仕事を得ることが難しいケニアでの職場環境は、想像よりもシビア。言葉や文化の違いによるコミュニケーションの差は当然あるとしても、それ以上に定職に就く事が難しいケニアで、外国人が仕事を得て働く事への現地スタッフが抱く感情、ケニア人同士でも他部族間で抱かれる感情などあらゆる事柄が入り混じった職場環境である事を知ります。時には「何かいい仕事知らない?」とケニアでの求人情報を外国人である私に尋ねられる事もありました。
定職に就いているスタッフでさえ抱く感情や仕事の話からは、彼らの生活の厳しさや仕事を得ることの難しさ、得てからそのポジションを手放さないための必死さも知りました。また、それまで国際協力をするには現地の国際協力機関で働くのが一番の近道だと思っていた私でしたが、実はそうではないんじゃないか?本当に必要とされている事は外国人のボランティアではなく、継続して続けられる仕事・雇用環境があることではないんだろうか?と考えるようになりました。
ケニアで一人暮らしを始め、生活面で特に大変だったのは水問題です。蛇口から水は出るものの断水も頻繁でした。突然水が止まり、いつ水が戻ってくるのかわからないのです。そのため水汲みは欠かせない日課です。朝起きて、空きタンクや容器に水を溜め、古い水から洗濯やトイレに使います。万が一のため、水は常に節約です。水だけでなく、電力も不足していました。電気で沸かすお風呂タンクも、停電で水シャワー。年間平均19度と高地で朝晩冷えるナイロビで、仕事帰りの水シャワーは修行のような気分でした。
しかし、この経験で日本では見えなくなりがちな水や電気が常にあることのありがたさを身をもって感じ、基本的なインフラが整っているからこそ、初めて時間を有効に使えたり、様々な事に目を向けられる余裕やチャンスに恵まれているんだとわかりました。