ムンク展 感想 ―憂鬱と失落、そして飛翔―
12月も半ば、上野の空は快晴だった。
いかにも真冬らしい乾燥した空気と黄金色に染まる銀杏の葉が舞うのを眺めながら公園内を歩く。
目当ては、ここだ。
建物と影とのコントラストが際立って実に美しく見える。良い日に来たものだと、少し浮き足立つ思いで、私は会場へ足を踏み入れた_。
ー 叫び ー
ムンクといえば血のような赤。どろどろとしたモチフ。黒い塊、、
そのようなイメージが強い。
今回の展覧会で一番注目されている作品は、《叫び》であろう。
《叫び》については、子どもの頃は“ムンクの叫び“というのが題名だと思っていたほど、この絵とムンクの存在は頭に残っている。
それが上野に来ているというのだから、どうにも気になる。兎に角行って観てみようと思いでここまで来た次第である。
混雑する会場を縫うように、階上のフロアまでひと思いにズンズンと進むと一層の人だかりが見えて一発でそこにあるとわかった。
展示スペースは、他の作品と違って間近で見るには立ち止まらずに見る決まりになっていたため、少し遠目(といっても1m程だが)からゆっくり観ることにした。
___対面した印象としては、サイズや縦横比については特に目に留まるものはない。周りの観客から小さいと言う声もちらほら聞こえたが、ルーヴルで観たモナリザの極小な画面を思い出してやはり普通と思えた。
暫くじいっと全体を見周していると空も山も大地も自分も全てがうねりながら一つに繋がるような錯覚を覚えて、思わず目を外す。
そして、その隣に飾られた《絶望》に目をやる。
こちらの舞台は一見すると叫びと同じ場所、時間帯であり、構図にも類似性が感じられるが、空の赤はこちらのほうが濃く、前方の人物の肩を落とす筆の動きがこの作品を重々しくしている。
《絶望》1894年 油彩・カンヴァス 92.0×73.0㎝
《叫び》の前後に展示されている作品、《マドンナ》や《吸血鬼》などの人物像にしろ、《メランコリー》に見られるオースゴールストランの海岸風景にしろ、全体の印象として憂鬱と失落を感じる。
《月明かり、浜辺の接吻》1914年 油彩・カンヴァス 77.0×100.5㎝
中でもよくそのような特徴が感じられる作品が、《月明かり、浜辺の接吻》である。
溶け出た鉛のようにしたたりおちる水面の反射光。だらんと下がる葉。垂直に伸びる幹。画面のすべて重くが垂れ込む。
うねりながら下に堕ちていく、抱き合い、一つの塊となった男女の身体の線。
タッチは薄く、どこか雑な印象もうける。
この頃ムンクは酒に頼り放浪生活。恋人との関係性の縺れから銃の暴発事件を起こし、左手指を失い別離。
このような背景からも納得できる画風だ。
ここまで観て、ムンクは人間の内面にウネウネと潜っては沸き上がる、払っても振り払えない重みを表現している画家だと思った。
重々しい愛憎‥どこまでも絡み付くようなねっとりした画面‥‥‥
だからこそ、私は、あの作品を見つけた瞬間、叫びよりも遥かな衝撃とともに、その場に立ち尽くしてしまったのだ。
同時に、これは間違いなくムンクの傑作であると確信した。
ムンクが1910年から1913年にかけて描いた、“あの”作品__。
ー 《太陽》の衝撃 ー
それは、何年か前にテレビ東京の番組【美の巨人たち】でも取り上げられていたのを覚えている。
もし、私が独断で人にムンクの作品を一つ勧めるのならば《叫び》よりも、そう、《太陽》を選ぶだろう。
《太陽》__。それだけ周りの作品の中で発光しているように見えた。そう、本当に輝いている。ひとつだけ明らかに異質なのだ。色彩もタッチも構図もなにもかもがそれまで観てきたムンクの絵と違う。
さらに、こちらに展示してあるものより、実物は巨大な壁画であり、想像しただけで目が眩みそうになる。
果たしてどうやってあんな絵が出来上がったのか。展覧会ではほとんど言及されてないのが不思議なほどに画風が違う。これは本当にあのムンクが描いたのか?
一体彼に何が起きたのか。
絶望や孤独と向き合ってきたあのムンクが、あの《叫び》の画家が、これを描いた_。
その事実に驚きを隠せない。
まさしく生命の讃歌と呼べるような希望に満ち足りた画面。絵の中心の太陽光のこれでもかというほどの眩しい白。四方八方に溢れ出る大量の光。
あの失楽と憂鬱はどこへ行った?
全てが上を向いている。
フィヨルドの谷も外側に向かって飛び立てる勢いだ。
下に垂れ込む水面の反射も木々もどこにもない。《叫び》のように全てが一体となり、うねっているわけでもない。
太陽の光は力強い厚塗りによってはっきりと浮き立つように分離し、観る者に向かって降り注ぐ。色彩の鮮やかさ。多彩さ。その存在感の何たることか。
ムンクは個人的画家だけれど、自分で作品の流れを飛び越え、叫びとほぼ同時期にまったく異質の傑作を産み出したいう点が非常に興味深い。
徐々に自分の作風を固め、洗練させていく画家とムンクは明らかに異なる。
ムンクが死や孤独感、欲望や嫉妬にまみれた愛憎に翻弄されながらも、あんなにも見事に“希望”を描き切ったことは驚嘆に値する。
小林秀雄※1が著書である『近代絵画』のなかで触れていたピカソの言葉を思い出した。
ー 価値を定めるものは、芸術家のすることではない。彼の人柄である。もしセザンヌがジャック・エミール・ブランシュの様な生き方をし、考え方をしてゐたのなら、セザンヌの林檎が、十倍も美しかったとしても、私は、何の興味も感じない。私の興味をひいて止まぬものは、セザンヌの苦心である。_(省略)_これがあの人間の現実のドラマだ。その他は泡沫だ。_______※
ムンクのドラマと、セザンヌのドラマ。向き合ったものは違えど、それぞれが懸命に生きた現実の中で傑作が産まれたという点で両者はどこか似通っている。
あの言葉の意味を、わたしも、ムンクの生き様と、この力強い絵から体感することが出来たような気がする。
1910~13年 《太陽 》油彩・キャンバス163.0×205.5cm
ー ムンクが描いたもの ー
ところで、この《太陽》には人物は描かれていない、そう、一見すると風景画なのだ。
しかし彼が向き合ったものは風景ではない、何とも抽象的で訳の解らないような、蠢く人間の生を真正面から捉えているのだ。
その制作姿勢はムンクの他の作品にも通底して見られるものだ。
例えば、私たちが日が沈む頃、オスロのフィヨルドを見下ろす丘に立ったとしても、あの叫びの風景を目にすることは叶わないだろう。
血のような赤い雲も轟くような山々もすべて彼の幻想だ。いや、幻想と呼ぶには語弊があるか、あまりにも生々しい___それは‥‥‥あぁ、そうだ、自分にもそういう瞬間がある。旅の途中、道を歩いていると、ふっと風景がすべてを飲みこみ、目の前が真っ白になる経験がある。ちょうどその時のような。
でもそれらの経験はごく個人的な__そう、彼、或いはわたし自身に起きた変異でしかない。
ムンクの作品に描かれた雰囲気、それは恐らく絵の舞台を訪れても感じることは出来ないものなのだ。
ならばその分、わたしはムンクの“作品”をもっとよく観てみたいと思う。
特に、《太陽》の実物はこの眼で観てみたいと、はっきり感じた。
なぜか。
彼の絵を観ても、わたしはフィヨルドの美しい風景を感じる事はない。
そういえば東山魁夷※2展をちょうどムンク展の前に観たのだが、旅人として北欧を訪れた風景画家である東山氏は、北欧の冷たい空気感をよく表現していて、絵の舞台を想起させる画家であったが、ムンクは違う。
繰り返しになるが、ムンクは風景画家ではない。ムンクが描いたのは、自己、そして人間である。
そしてわたしが訪れたいと感じるのはオスロ大学講堂。ムンクの描いた《太陽》の壁画がある場所なのだ。
ムンクは遠い異国のノルウェーの風景へ私を誘ってはくれなかったが、強烈なムンクという個人をもって、この胸に衝撃をあたえた。
だから、わたしは壁画を、彼が感じた太陽を見たいと思ったのだ。
寒々しい大地の美しさではない。絶望と叫びの中にいた画家がその狭間で見つけた光を、体感しに___。
展覧会情報 ※終了してます
ムンク展 ー共鳴する魂の叫びー
2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日 )東京都美術館 https://munch2018.jp/
※1 日本の文芸評論家、編集者、作家。近代日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。
※2 日本の画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山 新吉。
引用元
※小林秀雄.『近代絵画』新潮社.1958.254貢
※1__wikipedia内『小林秀雄(批評家)』より引用
※2__wikipedia内『東山魁夷』より引用
画像:【展覧会図録】ムンク展-共鳴する魂の叫び 普及版.朝日新聞社.2018
参考文献
【展覧会図録】ムンク展-共鳴する魂の叫び 普及版.朝日新聞社.2018