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ローリング・サラリーマン詩篇    chapter 2: E-MAIL

サラリーマンのベテランといえども、怒られるのはなかなか慣れるものじゃない。それも年下からの突き上げとなれば、ひとしおキツいものである。

「私のメール、ちゃんと見てくれてませんよね?」

こんな時、理想の上司は何と答えるのだろう。何と答えれば正解なのだろう。ちなみに前提としては、メールはすべて見ているつもりだがあまりのスタッフの圧力に、あれ、返信忘れちゃったかな、もしや未読スルーなら最悪だな、と心の中がざわついている場合である。

「見てる、見てる。」

とにかく二回繰り返したのがよくなかったのだ。二回繰り返すと、かるくなるかるくなる。そんなこと十分経験済みなのに、迂闊。

その時、打ち合わせ場所に急がなければならず、彼女が持つ資料の山も重たそうだったので、タクシーに乗ったのである、気を遣ったのである。そして、それで「僕は彼女をおもんぱかったった」と油断したのが運の尽きである。

「じゃあ、どのメールのことだと思います?」

さあ、恐怖のショータイムの始まりです。言い訳しておくと、僕はさほどその必要がないと思ったメールには返信しないのである。だってそうだろう。例えば「了解」くらいの時。読んでいない訳じゃないのだ。日々膨大なメールがやりとりされる中で、いちいち返していては返信される方もウザくはないだろうか。そして勿論、「了解」だけでも返すべき、と考える人が多数いるのも承知している。ただ、これは僕の仕事連絡の流儀なのだ。

そんな理屈をこねたところで、彼女が納得しそうもない今日この頃です。

「昨日の午後のメールですよね。」

はい、イチかバチかで広く午後にして、加えて丁寧語にしてみました。しかし、彼女の導火線は既にバチバチと、まるでそれ自体が花火のように盛んに燃えておりました。

「えっ。読んでるのに返信くれなかったんですか? あの件、早く動いた方がいいんじゃないんですか?」

どの件だっけな…。すいません、隅々まで読んでないこともたまにあります。

「誰も返信してくれないじゃないですか。」

あれ、そっち方向に行きますか。悲劇のヒロインみたいになってきましたよ。しかし何について喋ってるんだろ? マジやばいです。

その時、我が携帯に着信アリ。万歳! こんな時は多忙すぎて僕自身が一杯一杯になってる演出しかありません。

「ちょっと、ごめん。ハイ、もしもし…、」

僕は慌てるフリをしながら、彼女から視線を外し、即座に鞄から手帳を取り出しました。すると、手帳の間から、昼休みに格安チケット屋で買ったばかりの映画の前売り券がはらりとシートに落ちました。あらら。ほいで電話は予約をとってた居酒屋からでした。おかしいな、僕も割と最近仕事がんばっていて忙しいんだけどな。こんな時に限ってプライベートの電話だなんて。

「…はい。ああ、すいません、人数確定してなかったですか。はい。コースも当初通りで。いや、違います。あれです、全部まとまってるやつ。あれですよ、あれ。…飲み放題で。」最後のワードは口にしたくなかった。こっちの状況察してくれよ。

スマホをポケットにしまって視線を彼女に戻すと、強くこちらを見ていました。心臓だけ二三歩後ずさりしちゃいました。

「あの件で返信くれるのは課長なんじゃないんですか?」

やっぱりまだ続きますよね、話、終わってませんでしたものね。はい、再開。

「そうだと思います。」

僕はもう観念して、いつごめんなさいと言うかのタイミングを図ることにしました。

話はそれは多岐に渡りましたよ。出来る人は記憶力もいいですから。で、途中からは、怒りの原因も完全に僕と関係ないことに及んでいましたが、もうすべて受け入れることにしたんです。燃え盛る炎って止めるの難しいんです。燃える物が無くなったら消える筈なんです。

「あれは私の仕事ですか?」(違うと思いますが僕がお願いした訳でもないです)

「いっつもこうなりますよね。」(そんなことも無いと思います)

「営業の○○さんってすごく無責任ですよね。」(僕の話じゃなくてよかったです)

僕は黙ってうんうんと頷き続けました。だいぶ不満が溜まってたんだね。それに気づけてない時点で、僕の落ち度かなと思います。

「課長、私の目を見て、OKって言いましたよね。」

なかなかビジネスシーンでは聞かれないフレーズまで飛び出してきました。運転手さんがルームミラーでちらちら見てます。あ、仕事で詰められているだけなんで、どうぞお気遣いなく。

タクシーにするんじゃなかったな。赤信号のバカ。さすがにずっと向かい合うのがしんどくなってきた僕は、彼女から視線を外す作戦に出ることにしました。しかし間違ってもうんざりしてそっぽを向くように見えてはいけません。流れの中で、自然に、気づかれないように。彼女→前の車→彼女→前の車→時計→聞いてる感じ→彼女→聞いてる感じ→前の車→運転手→窓の外、脱出成功!

通りの反対側に、くっきりと見えるような信頼感で繋がっている上司と部下らしき男女が談笑しながら歩いてるのが見えました。うまくいったプレゼンの帰りでしょうか。けれど、こちらの女性の話はまだまだ左の席から聞こえています。続いています。いつから僕たちこんなになっちゃんたんだろう。

僕はあまりに息苦しいのでお得意の妄想スイッチを入れることにしました。スイッチオン。

「どうして返事くれないんですか。」

「いや、だから。」

「わたしのこと、どうだっていいんでしょう。」

「そんなことないって。」

こうやって置き換えると、まあ悪くもないじゃないですか。ムフフ。けど、おきまりのパターンで工夫がないな。ちょっと大胆にアレンジしてみよう。

「警部、返事をしてください! 警部!」

「うううう…」(犯人に撃たれていて声が出ない感じ)

「いやっ! 私を一人にしないで!」

「し、死にましぇん。」

視線を彼女に戻すと、オカルトでした。なにせ僕、ずっとニヤニヤしていたようです。

「ふざけてるんですか?」

「すいましぇん。」(しぇん?)

「最悪…」

その後、車中で彼女はひと言も口をきいてくれませんでした。料金払ってる時も先に降りてスタスタと行ってしまいました。

僕がもっと怖かったのは、別のスタッフと合流し打ち合わせが始まると、彼女は何事もなかったかのように明るく笑いながら仕事をこなしたのです。 この後、何か起こるのでしょうか。実は僕は、幽霊なんか全然恐くありません。生きている人間の方がよっぽど怖いんです。今は仕事のデキるスタッフが一番怖いです。






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この詩篇はフィクションです。
実在の人物・会社とは 一切関係がありません。

ローリング・サラリーマン詩篇 prologue
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 1: CONVENIENCE STORE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 2: E-MAIL
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 3: 7:00AM
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 4: TRAIN
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 5: GODZILLA
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 6: BIKINI MODELS
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 7: PRESENTATION
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 8: MASSAGE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 9:  STAFF
ローリング・サラリーマン詩篇 poem:   なりたいもの
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 10: TAXI DRIVER
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 11:  NIGHT LIFE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 12: GHOSTS
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 13: NICKNAME
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 14: JAZZ CLUB
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 15: NURSE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 16: LUNCH
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 17: FAREWELL PARTY
ローリング・サラリーマン詩篇 the last chapter: パリで一番素敵な場所は



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