君達はもう間桐慎二のクソデカ感情を見たか ~『劇場版Fate/stay night [Heaven's Feel]』を見て~
これから語るのは、私の心に大きな揺らぎが生じてしまった話である。
私は今日、『劇場版Fate/stay night [Heaven's Feel]』第1章を見に行った。
(何となく分かっていただけるかもしれないですが、この記事には上記映画のネタバレが含まれます。ご了承の上続きをお読み下さい)
突然何だコイツはと思われるかもしれないが、先に私のFate履修状況を少々整理させていただこう。
この辺りは適当に読み飛ばしていただいて構わない。
私は昨年5月に始めた『FGO』からFateシリーズに興味を持った。
FGO第1部を終わらせ、今年1月に『Fate/stay night[Realta Nua]』Android版をプレイ。3ルートともラストまでプレイし、タイガー道場も完結させた。
その後矢も楯もたまらず『Fate/hollow ataraxia』PC版を購入、クリア。
今年の5月には『Fate/EXTRA』『Fate/EXTRA CCC』もプレイしている(ただしどちらも全ルート見たわけではないし、CCCに至ってはCCCルートを未履修である)。
他に履修したものといえばテレビアニメ版UBWと、現在放送されているアポクリファ辺りであろうか。Zeroには触れていないし各種小説には触っておらず、Fate以外の型月作品にもノータッチの状況である。
何故このような話を突然したかというと、多分これがFateと長い付き合いの皆さんからすれば「何を今更」というような話だと思われるからである。
皆さんが『Fate/staynight』と長い年月を共に過ごしていくうちにきっと当たり前のように理解していっただろうことを、Fate歴の浅い私は今日理解した。そんな話をこれからしたいのだ。
それで、ここからが本題である。
私は以上のようなルートを辿って本日10/20(金)に映画を見ることになったわけであるが。
慎二が好きでたまらない人には申しわけないが、私は映画が始まる瞬間まで、間桐慎二がクソほど嫌いであった。
理由は単純で、本編を通してプレイした結果「普通に嫌な奴だなコイツ」と感じたからとしか言いようがない。
士郎や桜に意地悪なことを繰り返し、大した魔術師でもないのに粋がり、一般人を巻き込むことも厭わず、しかも妙な諦めの悪さで場を要らん方向に引っ掻き回している。
何より義理の妹レイプマンがロクな男であるはずがない(追記:この記事の筆者はラブラブ和姦至上主義という性的嗜好を持っているため、強姦や寝取り等の展開を必要以上に嫌悪する傾向があります)。
本編や『hollow/ataraxia』等で彼の背景が様々に語られ、彼には彼なりに良い部分があったことなどが分かっても、「仮にそうだとしてお前が人間の屑なのは変わらんからな」以上の感想を私はどうしても抱くことができなかった。
(EXTRA時空のシンジはstaynightの慎二とは別人なので、最初こそ戸惑ったが最終的には私の中で『アリ』となった)
そんな私が「おや……?」となったのは、映画開始後間もなく。
士郎が弓道部を辞めるに至ったエピソードを描いた一連のシーンである。
言うまでも無いかもしれないが、士郎が弓道部を辞めたのは、バイトで火傷を負ってしまったことがきっかけである。
慎二が「火傷跡晒して弓道など見苦しい」と言ったので、じゃあいいや丁度バイトも忙しいしと辞めたわけだ。
私は士郎慎二双方に「何ちゅう……」という感想を抱いたのを覚えている。
ところが、いざスクリーンに映ったそのシーンは、私の想像とはいささか雰囲気が異なっていた。
士郎が矢を射るその姿を、慎二は馬鹿にするでも憎たらしいでもなく、ただただ静かに見つめている。
こんな真面目な顔をする男だったかと、私は思わず目を見開いた。
続くのは、士郎が大事な大会前にバイトで火傷を負ったシーン。
真実は慎二のみぞ知るだが、私の目には慎二が「弓道部の同期として」真剣に怒っていたように映った。
いつもの人を見下し嘲笑う態度ではなく、部活の仲間として。
更に、慎二に火傷跡の見苦しさを指摘され、士郎が部活を去るシーン。
このシーンこそ私の想像していた姿とはまるで異なっていた。
士郎はあまりにも静かに部活を去り。それを見送る慎二の表情は馬鹿をあざ笑う顔でもなければ「厄介者を追い出せたぞ」というような顔でもない。
私のイメージしていた慎二像とあまりにも違う。
私はたちまち慎二から目を離せなくなった。
映画冒頭では、弓道部の話と共に、本映画のヒロイン・間桐桜が士郎の家に通うようになった時期の様子も描かれている。
火傷を負った士郎の為、手伝いをしたいと申し出る桜。士郎ははじめ困惑するものの、段々とそれを受け入れていく。
彼女は徐々に明るさを手に入れていき、家事も上達。士郎や慎二と同じ高校に入学する頃には、他ルートでよく知られる桜の姿となっていた。
そんな彼ら、彼女らの様子を……慎二は、遠くで一瞥。
ひょっとして士郎が気になってしょうがないんじゃないか、この男。
私は徐々にその事実を理解し始めた。
無論これは、ゲーム本編でも散々語られていたことである。
しかし私はそれを『情報』としてしか理解できず、だからどうしたお前の性根が腐ってるのは変わらんぞ程度に流していた。
それが映像と化した瞬間どうだろう。リアルな説得力を持って私のハートに迫ってくる。
まさに『言葉』ではなく『心』で理解できた、というやつである。
私の慎二観を覆しにくるシーンはまだまだ続く。
士郎が慎二に弓道部の手伝いを申し出て断られるシーン。
「お前は弓張り苦手だったろ」と昔の話を持ち出す士郎に、慎二は「お前は弓道部に関係ない部外者なんだから余計な口出しをするな」と言う。
慎二は明らかに不快感を表明している。
少なくとも「辞めたくせにwww粋がってんじゃねぇよwwwww」というような様子には思われなかった。
更に、慎二が士郎に弓道部の手伝いを押し付けるシーン。
士郎が聖杯戦争に巻き込まれる、その原因と言ってもいいシーンである。
このシーンに関して、私はどうも慎二が女の子達に囲まれニヤニヤしつつ士郎に仕事を押し付ける姿しか印象に無かった。先程ゲームで確認し直したが、やはり元々はそういうシーンだったようだ。
だが、この映画においては、そこが改変されている。
一年生の教室を覗いている士郎に、慎二はひとりで声を掛ける。そして仕事を押し付けた挙句、あっさり引き受けた士郎に「そうやって偽善者やってろ」と吐き捨てるわけだ。
……流石の私も事情が呑み込めてきた。
この映画は、慎二の士郎に向けた感情をデカく演出しているのだと。
それでも私は、「慎二のヤツめ、士郎に向ける感情こんなにデカかったっけか」程度に考えていた。
そんな私が「ヒッ」と悲鳴を上げることになるのは、この後の何気ないシーンである。
それは、衛宮邸にて。
藤村先生が士郎のアルバムをめくるシーンである。
私は見た。
中学校だろうか、高校になってからだろうか? ともかく運動会と思われる写真。そこに、士郎と共に弁当を食べる慎二の姿が写っていたのを。
しかも普段の慎二からは全く想像のできないような、邪気を孕まぬ笑顔で。
私の中の感情が激しくかき乱された瞬間であった。
何だアイツは、あんな顔ができたのか。
昔はああだったのか、それとも……本来士郎の前ではああだったのか?
これはいけない。
これまで散りばめられていた慎二の登場シーンが――映画のみでは済まない。ゲーム本編、ha、そういったもの全てひっくるめて――今まで『点』でしかなかったもの達が、『線』となり『形』となった感覚を得た。
即ち……慎二、コイツはちょっと、士郎のことが好きすぎるぞ、と。
映画の中で、桜は慎二について「苦手な人が好き」と言っていた。「難儀な性格だなぁ」と士郎は返していたが、本当にその通りである。
士郎の人間味の薄さが苦手だし、だからこそ気になってしまう、難儀な性格をしているのだろう。なんてこった。
そうして桜が、そして慎二が描かれれば描かれるほど、私はある事実に気付かざるを得なくなっていった。
それは、血は繋がらずとも、桜と慎二はそっくりだということである。
私は桜ルートを履修してから映画を見ているので、桜の士郎に対する強い思いはある程度理解しているつもりである。
自分は誰より士郎の側にいて、士郎のことを知っているのに。
士郎は、彼のことなど知りもしない(と思っている)遠坂凛に憧れを抱いているのが伝わってくる。
凛は美しく、魔術師の家の当主として幸せに(と桜は思っている)過ごしており、間桐家で惨めな暮らしを余儀なくされた自分にはないモノを何でも持っている。
そんなに恵まれた者が、私のような不幸な人間から、その上士郎まで奪おうというのか!
……というのが、桜の心情に関する私の理解であるが。
この映画を見れば見るほど、これはひょっとして慎二が桜に対して抱いている感情と同一なのではないかと思われてくるのだ。
慎二と士郎は中学時代からの付き合いがあり、桜が士郎と接点を持ったのはあくまで自分より後である。
にもかかわらず、士郎が優先するのはどこまでも桜なのである。
自分と共に支えてきたはずの弓道部を、士郎は自分が少しからかったくらいであっさりと辞めてしまった。
バイトが忙しくなったというが、それだけではない。士郎が部活に行かずさっさと家に帰れば……そこには桜が待っているのだ。
アルバムを開けば、昔は慎二と仲良くしている写真だらけだったのに。ある時期を境に桜と撮った写真だらけになっている。
火傷跡を馬鹿にしようが雑用を押し付けようが士郎は全く怒らない。にもかかわらず、桜の為ならブチギレて人前で暴力沙汰にまで発展させようとする。
嗚呼、慎二から見た桜のどれほど恵まれていることか。
自分が持っていなければならなかった魔術の才能を持ち。一子相伝の間桐の魔術を、自分が特別な存在である証を奪い。マスターの資格さえも自分のものではなく。
惨めな落ちこぼれ魔術師である自分が持っていないモノを、桜は何でも持っている。
そんなに恵まれた者が、俺のような不幸な人間から、その上士郎まで奪おうというのか!
そっくりだよお前らは!!!!!!!
……もちろんである、分かっている、魔術の才を持つ桜に対し慎二が劣等感や嫉妬心を持っていたことは、ゲーム本編でもきちんと描かれていた。
しかしプレイ当時の私は、それを「幼稚な人格を持った男の逆恨み」以上の何とも思えなかったのだ。
それがこの映画で見るとどうだろう。
慎二の性格に難があるのは間違いなかろうが……それは『幼稚で歪』というような簡単な言葉では片付けられない。
凄まじい劣等感を覚えているその相手が、衛宮士郎という男を奪おうとしている。その感情が歪な形で発露され、諸々の性格の悪さに結びついている。
嗚呼、本当に、衛宮士郎という男のなんと罪作りなことか!
映画が終わって、私は頭を抱えてしまった。
慎二はおよそロクな奴ではない。前科が事実としてある以上、この部分は私の中で容易には揺るがない。
しかし、私は間桐慎二という男を本当に知っていただろうか?
誰であれ小馬鹿にしている劣等感の凄まじいクソ野郎だと頭ごなしに決めつけ、その背後にあるより複雑なものに目を向けていなかったのではないか?
間桐慎二の士郎に対するクソデカい感情について、改めて考えるべきなのではないか?
私は、この話をどこに結論付ければよいのか分からない。
慎二に対する複雑な心境を、私自身今整理できずにいるのだ。
しかしこれだけは伝えておかなければならない。
映画『劇場版Fate/stay night [Heaven's Feel]』第1章は、現在全国の劇場で公開中である。
ド派手で美麗なサーヴァント同士の戦い。
様々な女性キャラクターの醸し出す色気。
キャスターの私服。
動く真アサシン。
走るランサー。
激辛麻婆豆腐を食し体を火照らせる言峰神父。
そして何より。
桜が士郎へ向けるドでかい感情、そしてそれに負けず劣らずクソデカい慎二の感情を、是非大きなスクリーンで見てほしい。
この映画は、私のようにFGOからFateに入りバタバタ履修して登場人物個々人の感情を深く掘り下げられないせっかち者にも慎二の感情を圧倒的演出力・映像力で叩き付ける、パワーのある作品であった。
FGOだけ触れていてまだstaynight本編に触れていない皆さんももしいたら、この機会に是非劇場に足を運んでみてはいかがだろうか。
アプリ版『Fate/stay night[Realta Nua]』はセイバールートが無料でプレイできるので、それだけでも触ってから行ってみると面白さが倍増するだろう。
とにかくひとりでも多くの方に、このクソデカ感情に触れてほしい。
私から言えるのは、それだけである。