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朝倉未来について



7月28日、朝倉未来vs平本蓮
なんと試合結果は平本蓮の1ラウンドKO勝ち
私はその衝撃から、手垢がついた表現で申し訳ないが、胸が空っぽになってしまった。

私自身、朝倉未来を強く応援していたわけではない。
これまでの彼らの因縁を純粋に追いかけながら、試合当日まで気持ちを高鳴らせてきたのは事実だが、両者のどちらかを強く応援していたわけではなかった。
むしろ、私の予想では、今や期待になってしまったが、4ラウンドまで試合がもつれ、最後に平本蓮が朝倉未来をようやっとなぎ倒して勝利するだろうと考えていた。

しかし、試合の結果を受けて、そうした考えが誤りであると知った。
試合は、4ラウンド、どころが1ラウンドのしかもTKO勝ち。
敗北したリングの上で呆然と一点を見つめる朝倉未来の表情は、もしや、私自身の歴史性までも壊してしまったのかもしれない。

今思い返せば、そもそも、私が格闘技を見るようになったのは朝倉未来による影響が大きい。
彼の分析的なスタイルが戦いの中で相手の癖を見破り、そして、彼の路上あがりの暴力性が一撃で仕留める。
この一人の人間では収拾のつかないような、理性と本能の両義性とそのカリスマ性は、私を含めた視聴者をその巨大な渦の中に巻き込んでいった。

格闘技では、選手を追いかけ応援するほど、選手と支持者との境目が溶けていく。
選手が勝てばそれは私が勝ったに等しく感じられ、当然負ければ負けたに等しく感じられる。

私は、どうやら朝倉未来の歴史性を、大それた言い方をすれば、どこかで引き受けてしまったらしい。
彼の勝敗に一喜一憂し、私の精神的変動の一部は間違いなく彼に依存していたように感じる。
それゆえに、朝倉未来がこれまで形成してきた彼の歴史性は、私の歴史性と連続し、この試合をもって、共に崩壊したのだ。

今感じている空虚感は、胸のどこかに隠れていた彼と私との精神の連続性をもう一度教えてくれたといえよう。
インターネット上の意見では「どうやら私は朝倉未来という人間が思ったより好きだったらしい。格闘技の試合で誰かが負けてこんなに悲しくなるのは久しぶり」というものがあった。
私も同じ気持ちだ。
朝倉未来を、自分でも気づかないところで、強く応援していたことに気づいてしまった。

とにかく辛すぎるし、あー
いやぁ、なんも言えねぇわ


引退をかけた試合。
我々は、善悪を超えて、彼に振り回され続けてきました。
YouTubeやりすぎ批判や、最近ギラギラしてない批判などは、もうどうでも良いのです。
精神的につながってしまったのですから。
彼が今後本当に引退するか否かも含め、これからも我々を好きなように振り回していってください。

以上、朝倉未来についてでした。

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