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論理的思考と仮説思考

論理的思考と仮説思考は何が違うのか

論理的思考と仮説思考はどちらもビジネスにおいて重要な思考法ですが、正反対と言ってもよいくらい異なる性質を持っています。例えば、論理的思考は集められた情報やデータを積み上げていって「それらの情報やデータから確実に言えること」を示そうとしますが、仮説思考では同じ情報やデータを使って「最低限言えそうなこと+α」もしくは「確実に言えること以外で意味がありそうなこと」を示そうとします。

しかし、この違いゆえに両者は補完し合う関係にあります。将来のことを考えようとしたとき、論理的思考では難しいことがあります。将来を予測するための情報やデータは少ないですし、何より過去とは異なり将来というものは思いがけないことが発生する可能性を持っています。過去の分析は「終わってしまったことの振り返り」であり、「もう新しい事態が起こらない状況での分析」ですので、集めた情報やデータを安心して使えます。

それに対して将来の予測では、予測している間にも新しい事態が発生し、集めた情報を書き換えたり、上書きしたりしないといけないこともあります。当然、論理的思考で言えることと比較すると、曖昧さは避けられません。しかし、曖昧さを包含するがゆえに「思い切ったこと」が言えます。

論理的思考は文字通り「論理」に依存しますが、仮説思考は「直感」に依存します。仮説思考とは「100%正しいとは言い切れないまでも、おそらくこういうことではないか」と考えることです。与えられたデータで言えることだけを確実に言うという論理的思考とは異なり、仮説思考では「このくらいのことなら言っても大丈夫そうか」という辺りまで冒険します。

しかし、冒険が無謀な冒険になってはいけないので、限られた情報やデータを過去の経験に照らし合わせて「完全に論理的に証明できないけど、おそらくこれで大丈夫だろう」という結論を出します。この「情報・データと経験の照らし合わせによる発想」を直感と言います。

荒唐無稽な空想とは異なり、仮説には経験というベースがあるので、仮説立案者にとっては仮説にはリアリティがあります。一見すると荒唐無稽に感じられる仮説に妙に納得感がある場合、それは聞き手にも仮説のベースとなっている経験があるからだと考えられます。

メンバーの認識共有・感覚共有が大事

ここが重要なところで、仮説がすんなりと受け入れられるためには、ある程度、話し手と聞き手の間に共通の経験や共通の感覚が必要です。逆に言うと、経験や感覚を共有している者同士であれば一方が提示した仮説を他方が理解しやすということです。

ここに会社のメンバーが共同作業をしたり、議論を積み重ねたりすることの重要な意味が隠されています。行動作業や議論を積み重ねていくことで、相手の人となりがわかり、信用できるところ、同意しても良さそうなところを感覚的に把握できます。また、実際に考えが一致することもあります。

このような経験を重ねることで、相手の提示した仮説のベースにあるものが理解できれば、仮説に対する理解度も高まります。

仮説には本質的に不確実性があります。その不確実性をどれだけ潰せるか、潰せないまでもどこまで許容できるかを見極めることが重要になります。したがって、仮説を用いた議論は提示された仮説を組織メンバーが理解したところからが本番です。

つまり、「この仮説が言おうとしていることはわかった。では、この仮説がどれくらい確からしいのかを確認しましょう」というフェーズに入っていくわけです。

ここでつまずく会議が多いです。組織メンバーの多くが提示された仮説を理解していない、もしくは納得していないまま仮説の検証に入ってしまうのです。仮説に納得できていない状態で仮説を検証しようとすると、「仮説が正しいのか、間違っているのか」という議論になりがちです。

しかし、そもそも仮説というのは「正しい、間違っている」で判断できないものです。それを「その仮説が論理的に正しいことを証明しろ」と言ってしまったら、それは仮説思考ではなく論理的思考です。

論理的思考では解を導き出せないから、解に近そうな近似値を創造的に導出してみようというのが仮説思考です。ここを理解できない、あるいは心理的に受け入れられない人が多いと、創造的な議論は成り立ちにくくなります。

論理的思考で検討して「データを論理的に処理したら正解が出ました」と言えるならそれが良いに決まっていますが、現実にはそう簡単に都合の良いデータは入手できません。そこで代替変数を用いたり、限られたデータを経験に照らし合わせて直感的にひらめくことで「確からしい答え(仮説)」を導き出すのです。

ただし、仮説の確からしさは仮説が提示された時点ではわかりませんので、論理的思考によって検証を行います。

このように企業の抱える問題の解決には論理的思考と仮説思考の両方が必要になります。実際の使用状況としては「論理的思考ですんなりと解が導き出せそうか考えてみる → 無理そうなら仮説思考で解の近似値を導き出す → 仮説を論理的思考で検証する」という感じでしょうか。

ビジネスで仮説が重要だと言われる理由

ビジネスは「不完全情報ゲーム」です。相手の打ち手も含めて全ての情報が全てのゲーム参加者に対してオープンになっている完全情報ゲームでは論理的思考による戦略立案が極めて有効で、根気よく研究を重ねれば勝てる可能性が高まります。
※ビジネスが不完全情報ゲームであるということについては、別の機会に論じたいと思います。

しかし、ビジネスは不完全情報ゲームであり、論理的思考に加えて「読み」が重要になります。「読み」を別の言い方で表現すると「仮説」ということになります。

世の中でこれほど「ビジネスでは仮説が重要」と言われる理由は、ビジネスが不完全情報ゲームだからです。不完全情報ゲームは論理的思考だけで最適解を導き出すことはできません。

新規事業開発やビジョン策定のような「未来のこと」を考えるプロジェクトの支援をしているとわかるのですが、多くの人は仮説を立てることを嫌います。不確実なことを言いたくないのかもしれません。勤め人の悲しい性(さが)と言えます。たとえつまらない意見でも、論理的に説明できることの方が安全だと考えてしまうのです。スポーツで言うなら「勝負に行かない」という状況です。当然、勝負に行かなければ勝負に勝てません。

人材を使いこなす

ということで、将来のことを検討するプロジェクトでは「最初の声」があがるかどうか、どれだけ早い段階で思い切った「最初の声」があがるかで、全体構想の品質が変わります。できれば、「全体がよく見えている人」、「仕事のよくわかっている人」が最初の声(初期仮説)を示してくれるとありがたいです。

論理的思考というのは、同じ論理を使いこなす知的レベルの同じ人であれば誰がやっても同じです。論理に個性はありませんから。しかし、仮説には個性が出ます。あるいは、その人の経験値や価値観、基礎知識などが反映されます。それゆえ、経験豊富で基礎知識があり視野が広い人の仮説は面白いのです。

仮説が面白ければ面白いほど、その面白さが荒唐無稽にならないよう、きちんと現実的な取り組みになるよう、仮説を論理性のレールに乗せることが重要になります。

論理的思考と仮説思考は補完し合う関係です。新規事業開発やビジョン策定のプロジェクトでは、思い切って仮説の言える人材と論理的思考で仮説の穴を見つけて埋められる人材をバランス良く編成して、検討の初期には仮説思考を、中盤から終盤にかけては論理的思考を使うように会議体をファシリテートすると良いでしょう。


(執筆者:中産連 上席主任コンサルタント 橋本)
民間のシンクタンクおよび技術マネジメントと事業開発を専業とするブティックファームを経て現職。現在は、事業拡大と新規事業開発によって長期的な成長をめざす中堅・中小企業の経営方針・事業戦略の策定と現場への浸透を中心にコンサルティングと人材育成を担当しています。

中部産業連盟では、各種コンサルティングおよび人材育成支援を実施しています。コンサルタントの派遣にご興味のある方は以下の問い合わせ先にご連絡ください。

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