答え
幡野広志さんの『僕たちが選べなかったことを選びなおすために』を読み始めました。
私が知りたかった答えがあるような気がしたからです。
『読みました』ではなく『読み始めました』なのは、答えかもしれないところに近づいて胸が詰まりすぎてまだ途中までしか読んでいないからです。
この本を知ったのはほぼ日の対談記事でした。
がんになった時に他のがん患者さんに取材してできた本だと(ざっくりしすぎだけど)ありました。
私はお付き合いしていた人をがんで亡くしました。
10代の終わりから20代の初めの頃、まだ自分の人生にがんという要素があるなんて想像もしなかった頃でした。
そして自分も相手も友人もその彼氏彼女も元気で、がんとは縁遠いはずの日々でした。
突然がんが登場して、生活が一変して、諸々あって私達は別れ、相手は亡くなりました。
「(私)をこれ以上巻き込めない」という相手に
「私が、巻き込まれたいから一緒にいるんだ」ってことをうまく伝えられなかったこと。
本には『患者さん側の優しさ』から離婚話を切り出すところがあって、あれも優しさからだったのかもしれないと腑に落ちました。
思いやり合うからかみ合わないなんて、その頃は思いつきもしなかったから。
それなら。
『私がもっと強ければ最後まで一緒にいられたんじゃないか』
本当に知りたいのか、ただの後悔なのか。
でも忘れられなくて、ずっと心の隅にありました。
本には幡野さん以外の患者さんの話も出てきます。
読む方も、がんを、患者さんサイドから見ているような。
私はあの頃ずっと、
同じ場所で同じものと闘っているつもりでした。
でも患者さんサイドから見た世界は全然違う気がして、一緒に闘っていると思っていたのは自分だけなのかもしれません。
そうだったならとても苦しいし本当に申し訳ない。
ただ、遺していくかもしれない側と支えたい側とで見ている世界が違うと知れただけでもよかったです。
(すごく読書感想文ぽくなってしまった)
違うからうまくいかない時もある。
でもたぶん、相手を思う気持ちは根底にある。
ただ違う視点からの思いやり、というだけ。
あの頃の自分に教えてあげたいし、今闘病中の方の周りにいる人は読んでみてほしい本です。
力不足で悔しかったことも、遺されたことも、マイナスな気持ちがスッとほどけていくような本でした。
一気に3/4程読んで胸がいっぱいになって、数日寝かせて、また今度は一気に書きました。
浄化のようでした。
本当の答えはもちろんもう聞けません。
でもそこに私への思いやりがあったかもしれないと思えるだけで、悔やんだり自分を責めたりせずに静かな気持ちでいられます。
あの時は、ありがとう。とても。
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