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「私は〇〇」という設定。
書きたいことがありすぎて
逆に全然記事がかけなかったchiwacoroneです。こんばんは。
嬉衣さんからのバトン。
嬉衣さんとの出会いはエンマカード講座。
今思い返すと、煮詰まって煮詰まって仕方がない時期だった。
元々“考えること”が好きな私。でも考え過ぎて自分を追いこむクセがある。
エンマカードはそんな私にピッタリだった。
エンマカードとは、自分に聞きたい事柄を、シンプルな言葉か書かれた36枚のカードに聞く(引く)というもの。
面白い事に、課題をクリアするまで同じカードが出続けるのだ(笑)違う質問をしても同じカードが出続けた時は、それが面白くてカードをきりまくって同じカードが出るかを試したりもした。
違う遊びになってるし・・・。
今はタロットも含め、自分でカードを使う事はなくなった。
でも好きなので、人にやってもらったりして遊ぶことはある。
さて。前回の続きに戻ろう。
自愛とは、読んで字のごとし「自分を愛する」こと。
自愛はメソッドではなく“生き方である”と説いたのはisaさんだったか。
自分を愛することをメソッドにするなぞ、本末転倒ではあるけれど、追い込まれた人間にはなかなか難しい。(なんでもメソッドにしちゃう)
自分を愛するとはなんだろうか。
それを改めて考えた時、自分の中の自分を愛するという事があまりに漠然としていて逆に途方に暮れてしまった。
自分を大切にする、自分を愛する。
めちゃくちゃ当たり前の事なのに、実際に己に問うてみると
それが出来てないどころか「自分を愛するって・・どうしたらいいの?」となってしまって凹んでしまった。
それどころか自分を責める始末。
・・・・真面目かっ!!!!
いや、ドMか?
今なら笑えるのだけど、当時の私には深刻な問題だったのだ。
自愛ってなにさ?どうしらいいのさ?と調べてみると「どんな自分も受け入れること」と説かれていた。
「お・・・おぅ」
なにこの漠然感!!!!
なにかをする(行動)こと
正しく行うこと
間違うことへの恐れ
などに縛られていたんだと、今なら分かる。
とはいえ、この呪縛?から吹っ切れたのはこの数日の出来事。
私は自愛が分からない
私は自愛がうまくできない
自愛はやり方がある
自愛は完璧にしなくてはいけない
そう、自分で設定をしていたのだ。
間違いなんぞなくって
すべて正解で
自分がしたいようにすれば良かっただけ。
逆にいえば自分が「正解!」と決めれ(設定)ばそれが正解なのだ。
カラクリは実にシンプルだった。
どこまでも簡潔だった。
私の世界は私専用で、その主権は私にあると気づくだけだったのだ。