たいしたことない日々のこと220608
先週末、折り紙のワークショップを近郊の街でやってきた。
ひとりで老若男女のフランス人を相手に、とはいえ主に小さい子どもが多くて2日間で50人以上折り紙を教えただろうか。2週間前にも同じようなイベントを実施したから、慣れていた部分もあったし今回はより静かな環境で、ゆったりと時間をとって実施できたのも良かった。総じて充実した週末。
そして、心に響くような言葉を抱えきれないほどもらったのだった。
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土曜日に教えてあげた小さな男の子。母親と一緒に来た彼は折り紙ができるのがとっても嬉しそうでにこにこした表情。どうやら好きでよくひとりでも実践しているらしい。
たしかカエルの作り方を教えたのだったか。彼の手の動きはとても素早く、そして角と角をきちりと丁寧に折る姿は熟練した手つきを思わせた。なるほど、さすがだなとこちらもペースをあげていく。こうやってね、次はここを開くんだよ、そうそう。さすが。完璧、すごいじゃん。そんなに早くできるひと見たことないよ、そうそう・・・。そして出来上がったあとに「こんなふうにして遊べるよ」とデモンストレーションをした。彼の顔はぱあっと、花が開いたかのように明るく鮮やかになる。喜びがこちらまで伝わってくる。
彼は新しい技を見つけた戦士のように興奮を隠しきれないまま、じぶんで作った作品を大事そうに手に握りしめて母親と一緒に帰っていった。
母親がイベントの出展者でもあったとわかったのが翌日の日曜。休憩時間うろうろと会場内を散策していたわたしは日曜日、展示販売をする彼女に声をかけられた。
「昨日はありがとうね。帰ってからも息子はとっても喜んでいたんだけど、でも今朝になってね。教えてもらった折り紙のやり方がわからなくなっちゃって、とっても落ち込んでしまってたの」。
「え、ほんと?そしたらまた教えるのに・・・」
「いいの、でも本当にありがとうね、あの子、あなたに教えてもらってすごく嬉しかったみたいよ」。
そうだったのか。わたしはこの家庭の事情も名前もどこに住んでいるかも、何もかも知らないにも関わらず、ひとつの家族の喜びに立ち会えたのだ。彼がこの先この思い出を経験を忘れるかもしれないし、忘れないかもしれない。日本人に教えてもらった折り紙の経験、もしかしたら20年後30年後、手先を使う職人の仕事に就くなんてこともありえるかな、ありえないか。想像する勝手はこちらにもあって、なぜかというとあなたたちがわたしのフランスで生きる喜びに立ち会ってくれたから。わたしは忘れない、そう喜んでくれた家族がいたことを。ここで役に立てているんだと思えたことを。
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「あなたの教え方が上手だから、うまくできたんだ」。
あるひとはそう言ってくれた。ビデオで見るんじゃわからない、ここで教えてもらえたからできたんだと。そしてあるひとは戦車の折り紙を作って持ってきた。ねえ、そんなのどうやって作るかわからない!教えて、先生!とこちらから称賛の声をかける。彼は嬉しそうに解説をしてくれる、A4の紙とね、別二何枚か必要なんだ。それでね・・・。でも鶴の折り方は忘れちゃった、もう一回思い出すためにやりたいな、と言う。「上級者なら小さな紙でもできるんじゃない?」なんていって正方形の小さなポストイットを渡す。これじゃあ糊がついてるよ。大丈夫、わたしもポストイットでやるから!Pas grave !(たいしたことないよ!)。
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出来上がった時の満足そうなみんなの表情を見れることが、わたし自身もたまらなく嬉しかった。数分のただの紙を折る作業だけで、場所を移動することもなく、大きな工作をするわけでもなく、何かを成し遂げられる。ちょっとうまくいかなくても大丈夫、この部分はすっごく格好いいよ、と伝える。普通はこんなふうにみんなできないよ、才能あるね!褒めて褒めて褒めまくる。褒めるじぶんも気持ちがいい、本当にすごいと思ってるから言える。嘘じゃない、そしてみんなも得意気な顔をする。
この幸せな空間を、循環をどのように言い表せればいいだろう。
だれかの役に立てているという実感。喜びを感じたという事実。みなが満足げに自信をもって作品と向き合える瞬間。そうかあ、なんだかいろんなことを小難しく考えていたけれど結局シンプルなことだったのかもしれないな、なんて思う。誰かの役に立ちたい!と意気込むのではなく、じぶんの出来ることを、出来る範囲で届けていく。
さらに言えばこの折り紙のアトリエをする機会を作ってくれた、アソシエーションの代表・モニクに出会っていなければ今のじぶんは存在しなくて、この喜びや経験もあり得なくて、彼女が3年前膵臓がんの手術で死なずに生き返ってくれたからわたしと出会ってくれて、ほんとうにありがとうと神様に何度でも御礼を言いたい。
彼女のおかげで今がある。もっともっと彼女に恩返しがしたいしその為にじぶんが成功して喜んでもらいたい。現在のモチベーションはそんなところ。ただの、6月初め、たいしたことない日々のこと。