たいしたことない日々のこと220325
ほんとうは仕事が詰まっていてnoteで文章など書いている場合ではないのだけど、なんとなく書きたくなったのでそういう時は頭の中が言葉で満ち溢れてぽろぽろとこぼれてしまっている状態だから、書きたいことだけ書いてみよう。
まいにちのことを、振り返ろうとする試みの意義
10年以上続いた日記を書かなくなって、少しの罪悪感とすっきりした感覚と。ここ最近は振り返るのもなんだか無意味だなあという気持ちになっていて、ただただ、日々を過ごすことで精一杯になっている。Netflixを見たり、友人の子どもと一緒に遊びにいったり、普段の買い物をしたり夜の献立を考えたりねこを眺めたり。
大したことなんてなにひとつしていない。でも納得のいくまいにちを過ごして、フランスにいてももはや日本にいるのと全く変わりなくて、好きなように辛ラーメンやビビンバは作って食べるし藤井風の音楽は聴くし日本語で同僚とコミュニケーションはとるし昔から変わらずPhotoshopやillustratorを使って仕事はするし、自分の範囲がここで拡張している気分。ちょっとだけ日本より居心地はいいと思うかな。それはたとえば。
横断歩道で車が一時停止し「お先にどうぞ」と車の中からにっこり笑顔でゆずってくれる運転手に出会うとか、家にいたくなくて外に出たときに「うちで泊まる?」と招いてくれるひとのこととか、わたしのそばですやすやと眠るねことか、ありとあらゆる小さな、些細な行為と発言にたまらなく愛を感じるし、愛に包まれた環境であるとともに愛を受けるだけの行為をここで為しているんだろうなとも傲慢ながら思う。
たぶん、言葉が通じる時点からはもう国籍なんて関係なくて、人間同士の付き合いだけが残る。その人とあうかあわないか、それだけが人と一緒にいるというシンプルな理由。〜人だからと人種を理由に付き合うことはないと思っている、その証拠に「日本人だからあなたと付き合っている」と言う利害関係を持ち出す人またはそのような態度を示す人とは出会ったことがない。
逆に、いつも仲良くしている女の子は一度こう語ってくれたことがあった。
「これまでアジアの文化に全っ然興味がなかったし、むしろ毛嫌いしてたんだよね。だけどあなたと出会ってもっともっと、アジアのこと、日本のことを知ってみたいと思うようになったんだよ」。
彼女は街の一等地にある某有名コスメブランドの店舗のマネージャーとして働いているので、これまで様々な国籍の観光客を日々相手にしてきた。その中でとりわけアジア人は愛想がなく、コミュニケーションを避けるような態度をとる人が多かったという。それゆえ彼女はアジア人の友人もいないし作る必要性も感じていなかった。それがたまたまわたしと出会って、少しだけ考え方が変わったという。
その言葉はいま思い返しても、とても嬉しくて胸がいっぱいになる。自分の存在が誰かを、ポジティブな方に動かすことができたのだと。わたしがいたことが、なにかの役割を果たせたのだと。
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きっとこういうことを細かく書き残さなくても、大切だと感じたあたたかな気持ちは心にずっと残る。だからまいにちのことを振り返ろうとする必要はないし、消えゆくものも自然なこと。そこにしがみつかなくても大丈夫なのかもしれないな。