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訪れたことのない街に賭けてみる【リヨン】
20代後半、ある程度充実した生活は送ったけれど
フランスに語学留学をしようと思い立ったのが27歳。社会人としてある程度やりたい仕事ができて、東京のど真ん中に住んで、好きなものを食べたり映画や演劇を見たりとわりと豊かに暮らしていた頃だった。
それでも。
日常生活で、満たされない、何かが足りないと感じる瞬間が度々あった。
当時のわたしはカナダのケベック出身映画監督グザヴィエ・ドランの映画に陶酔し(「わたしはロランス」を渋谷アップリンクで鑑賞、嗚咽が出そうなほどに号泣した)、また国立西洋美術館で開催されたスイス人画家フェルディナント・ホドラーの絵画に心を奪われるなど(スイスの湖の描写はまるで天国のようだった)、仏語圏芸術家への熱にうなされていた。
この素晴らしい作品を作り上げる、彼らに近づきたい。
物理的ではなくもっと深い場所で理解したい。
どうすればいいのだろう。
関わる業界に転職すればいいのか?それとも文献で知識を深めるか?
思考回路を知るために言語を手に入れる
どうすれば近づけるか、その結論として、まずは思考回路を知ることだと思いついた。もちろん彼らの脳みそを覗き見することなんて不可能だが、言語を学べば創作に関する手記やインタビューだって通訳あるいは翻訳がなくても知ることができるし、生きている人ならば作者に思考法について直接問うこともできる。
"この作品の制作に至るまでどのような経緯がありましたか?"
"制作する上で最も大事にしている想いはなんですか?"
"なぜこの作品を生み出そうと思われたのですか?"
など。
本来、思考には言語が必要である。何かを食べたいなあ、飲みたいなあ、そう感じることでも脳内に言葉が浮かぶ。だとすれば動詞も形容詞も全てその言語を手に入られたなら、おまけとして別の人格をもって思考できるのではないだろうか。
思考回路を知る手段として言語を学ぶ
だから思考回路を知る手段のひとつが、フランスへの語学留学だった。
単純に仏語を学びたいだけで、決してその国の華麗さやイメージを好んでいたわけではなかったので、フランスに一歩も足を踏み入れたこともないのに仏語を学び始めた。
学習を始めて6ヶ月くらい経ち、休暇もとれる時期だったので初めてパリに旅行。オルセー美術館で絵画を思う存分満喫し、モネのジヴェルニーの庭に訪れ、Airbnbでアパートを借りて生活をした。
すると驚くほどに心地の良さを感じた。どの道を歩いても歴史の上に立っていて、それは過去の延長線上にあるものでおそらくこの先も未来へと続いている。今の時代を生きる自分自身が、選択を繰り返すちいさな意思であると知り、むしろそれが人間である証拠だと強く生きる実感が湧いた。
ここからはもう訪れたことのない街に賭けてみるのもいいなと覚悟がきまり、語学留学をする2年後にはパリではなく行ったこともないリヨンという街を選んだ。
理由はわたしの出身が大阪で、第二の都市で生まれ育ったから。フランスでも第二の都市リヨンなら水や空気が合うのではないか、という予想である。
そんな軽い気持ちで始まった留学は、さらにヨーロッパの魅力に取り憑かれることとなり、1年の期間を経て帰国。いまでも一層あの大地に戻ることを願ってやまない。わたしが知らないだけで、いまだ訪れたことのない場所に、素晴らしい街があるのではないかと、ずっとずっと考えている。
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