東京テディベアの歌詞の意味を考えてみた
私が中高時代にカラオケで最も歌っていたボカロは
「東京テディベア」である。
高音チャレンジというのもあったが、
ロックな曲調が好みで、ダークな歌詞に共感を覚えたからだったと思う。
そんな東京テディベアの歌詞の意味を考察してみる。
まとめると、歌詞には「兄弟と比べ愛されない自分」「依存し自己投影しているティディベア」が登場し、その中で様々な負の感情がぐちゃぐちゃになり、何かを決意しているように感じた。
歌詞を順番に見ていく。
父さん母さん 今までごめん
膝を震わせ 親指しゃぶる
兄さん姉さん それじゃあまたね
冴えない靴の 踵潰した
ここからは両親・兄姉の存在と、自分が冴えない存在であることの後ろめたさが伝わってくる。
見え張ったサイズで 型紙を取る
何だっていいのさ 代わりになれば
愛されたいと 口を零した
もっと丈夫な ハサミで
顔を切り取るのさ
自分のことを、愛着のあるテディベアに例えており、愛されたい(=親の愛が十分でないと感じている)という欲望を満たすために、
・見栄張ったサイズで型紙を取る
・丈夫なハサミで顔を切り取る
ことを実行しようとしている。
これらは愛着障害を抱える子どもがやりがちな行動で、彼らは「ありのままの自分は愛されない」と思いこんでいるため、どうにか愛される子どもになろうと見栄を張ったり、自分の本当の顔(=感情)を強い力で削ぎ落とそうとしているものだと推察される。
全智全能の言葉を ほら聞かせてよ
脳みそ以外 もういらないと
why not, I don't know
近未来創造 明日の傷創 ただ揺らしてよ
縫い目の隙間を埋めておくれ
サビ。だが私はこのあたりの意味はうまく解釈できていない。
多分主人公も自分の感情が整理できてないから、難解でぐちゃぐちゃな歌詞が並んでいるのではと思った。
ここまで頑張っているのに認められないのか分からない、愛されないのか分からない、だれか自分の隙間(心と、愛されるために必要なパーツ)を埋めて欲しい、助けて欲しいと思っているのかもしれない。
皆さんさようなら 先生お元気で
高なった胸に 涎 (よだれ)が垂れる
正直者は何を見る? 正直者は馬鹿を見る!
正直者は何を見る? 正直者は馬鹿を見る!
あー、これじゃまだ足りないよ
もっと大きな ミシンで 心貫くのさ
2番。主人公は学校からいなくなろうとしている、不穏な状況を感じる。
そして「正直者は馬鹿を見る!」。素直に正しいと思うことをしたら、誰かに裏切られたんでしょうね。「頑張ったのに愛されなかった」なのかなと思った。
成功体験を得られなかった主人公は、愛されるための手段を「もっと丈夫なハサミで顔を切り取る」から「もっと大きなミシンで心貫く」に変えている。
顔を切り取るより心貫くのほうがきっと苦しい。
でも仕方ない。顔を切り取るだけでは愛されないのだから。
全智全能の言葉を ほら聞かせてよ
脳みそ以外 もういらないと
why not, I don't know
近未来創造 明日の傷創 ただ揺らしてよ
縫い目の隙間を埋めておくれ
そして2サビで1サビの繰り返し。苦しくてぐちゃぐちゃな状態が、一言一句変わらず繰り返される。
どんなに頑張っても、苦しい状況から抜け出せない。
もう何も無いよ 何も無いよ 引き剥がされて
糸屑の 海へと この細胞も
そうボクいないよ ボクいないよ 投げ捨てられて
帰る場所すら何処にも 無いんだよ
一転して静かな曲調。諦めを感じる。
どんなに頑張って偽っても、自分には何もない。
存在価値のない・愛されない自分は皆んなから見捨てられ、もはや家にも学校にもどこにも居場所がない。
存在証明。 あー、shut up ウソだらけの体
完成したいよ ズルしたいよ 今、解答を
変われないの? 飼われたいの?
何も無い? こんなのボクじゃない!
縫い目は解けて引き千切れた
どうにか愛されようと頑張って存在意義を証明しようとしたが、結局テディベア(=自分)は嘘だらけの自分になっただけで、完成しなかった。
本当はズルして(=ありのままの自分として?)愛されたかったが、
また期待のできない存在証明の解答を見てみる。
変われない自分、飼われることを受け入れる自分、何もない自分に対して「こんなの僕じゃない」と激しい自己嫌悪に陥り、その結果、頑張って作り上げたテディベアの縫い目は引きちぎれてしまった。
煮え立ったデイズで 命火を裁つ
誰だっていいのさ 代わりになれば
どうやっても愛されないため、ついに煮え立ったデイズを使い、命を絶つ。
ここでは生命をというより、自分という人格を完全に殺してしまったのではないだろうか。
存在を証明できない自分を完全に諦め、全く違う人格を代わりに愛してもらおう、そんな結論に至ったのでは、と思った。
まとめ
・親や先生の期待に応えられない罪悪感からの逃避、
・愛されない冴えない状態から何とか変わろうともがくも変われない自分への失望、
・一方で「なぜ愛してくれないの」という怒り、
・自分がいなくなっても(ティディベアと入れ替わっても)気づかれない存在であるという諦め、…
曲の中で様々な感情がぐちゃぐちゃに入り混じり、最終的に主人公は何かを決意したのではないだろうか。
ロストワンの号哭もそうだが、Neruさんの曲は愛着障害を感じさせる曲が多いと感じる。
それに多少なりとも共感を覚える少年少女がハマっていくのかな、きっと、と思った。