~集大成パート1。気づかされたこと~
あれから2年。
「さぁ今日も頑張っていこう!あ、赤まむし先輩!今日もよろしくお願いします! スパルタン師長!あ、今日もちゅんがHCUですか!わかりました!」
継続は力なり。
そんなこんなで月日はたち、入職当初、「うちは入れ替りが激しいからね」というパワーワードを連想させる事象もなく時はすぎ、このまま皆で頑張っていきたいなと思っていた矢先、様々なことがおきた。
スパルタン師長の退職、そして新たに病棟発足(循環器)、ちゅんの病棟異動、そしてちゅんプリセプターになる。
スパルタン師長の退職には驚きをかくせず、、ただ刺激的な日々を送らせて頂く中で、時には厳しく、そして更に厳しく。たんまぁ~~に優しく☺️
でも自分の場合はこの環境があっていたのかもしれない。本当に感謝。
そして循環器発足に伴い、ちゅんはその病棟へ異動。
ただ強力な助っ人も異動となる。
そう、赤まむし先輩だ😂
そして師長は、こたけ師長!(ちびまるこの、おばあさん。ネーミングの由来は以前の記事に書いてます☺️)
そして!!初めてのプリセプター(看護師なりたてのルーキーを指導する立場)となった。
初めてのプリセプティは、根っからの真面目後輩。ちょっとオドオドしている☺️
男性看護師のため、病棟自体は赤まむし先輩含め男性の割合は高めとなる。
さっそく真面目後輩との日々が始まる。
疾患の理解についてなどの課題をだすと、半月~1か月後に提出される。(内心、ちょっと提出が遅いなとこの時は思う)
その課題をみてみると、与えた課題の対象疾患をただ印刷してアンダーラインを引いただけであった。
ちゅん➡️「あ、疾患を勉強してまとめてきてくれたんだね、、❓️」
真面目後輩➡️「はい、ネットで調べて印刷してまとめました」
その後も調べた内容はWordに文字を打ち込むとか、同じようなやりとりが続く中で、ちゅんは真面目後輩に一言放つ。
「これは調べたというか、ただ印刷してコピペをはりつけただけだと思うんだけど、、❓️」
ちゅん自身の中で経験談にはなるが、「調べる」というのは教科書や参考書などをみて、ポイントなどをノートに書き出して整理することと思っていた。そして課題の提出に半月、1ヶ月は遅いと感じていた。
この日を境に、真面目後輩の表情が暗くなり、その他スタッフとのコミュニケーションも上手く行かないことが目立つ。
ちゅんはいろいろと考えた。
毎日寝る前には真面目後輩のことを考え、あの時発した一言は彼にどのような影響を与えたのか?
ちゅんの思う「調べる」という概念は、ちゅんの理想なだけじゃなかったのか?
様々な考え方はあると思うが、真面目後輩と改めてよく話をし、課題の提出には印刷もOKとした。
もちろん課題を終えるまでの過程も重要だが、自己学習したことをアウトプットできるかに焦点をおいた。
(もちろんちゅん不在の時に、このやり方について真面目後輩が指摘されないように、師長やその他スタッフにも事前にちゅんから説明し理解は得ている)
真面目後輩もただ印刷するだけではなく、疾患を関連づけるような構成にするなどの工夫ができるようになっていた。
なぜ印刷も可にしたのか❓️
ちゅんの中で「こうあるべき」というのが強かったこと。
ではなぜ強かったか。
自身の経験談が主となっていた、そしてこれまでの経過を考えると、コミュニケーションが少ないがゆえに、相手の考えを知ろうとしていなかったこと。
「課題をやってきたか、内容はどうか」という結果のみに焦点をあてていたことも、拍車をかける要因の1つだったのかもしれない。
「対話」の重要性を感じていなかったのだろう。
考えてみると、ちゅんと真面目後輩は年齢は7歳くらい離れていた。
人それぞれ育った時代や環境は当たり前に違う。
環境や時代が与える影響を考えた背景として次の経験が思い浮かぶ。
ちゅんの祖父母はことある度に「お腹空いたらいけないから腹いっぱいたべなさい」と言っていたが、ありがとうと思う人もいれば、腹八分目がいいと思う人もいるだろう。
(なんでそんなにご飯たべろっていうの❓️と小さいときに祖父母にきいたことがある。答えとしては戦争で食べ物がなかったからだそうだ。)
つまりその時代で体験したことをよかれと思っていたとしても、食べ物が極端に限られていた当時に比べると、充足してきた今の時代では、その考え方の捉え方として多少差がでてもおかしくはない。
その他にも、ちゅんの父は遅くまで仕事をして残業なんて関係ねぇ!仕事だ仕事!
仕事頂いてるんだから、お客さんのために遅くまで仕事するのはしょうがないだろというような気質だったが、ちゅんが父の弟子なら、業務の効率化をする中で残業を少なくするためにどうしたらよいかを考えていただろう。
真面目後輩とカジュアルにたくさん話をする中で、きっと自分に自信がないというか、認めてくれる存在が大事なんだろうなと感じた。
なんというか、その人の存在意義といったら大きく聞こえるかもしれないが、食べ物でもなく、残業などの就業時間に関することでもなく、「存在意義」なのかもしれない。
もちろん、ただ認めてあげるだけでなく、そこはバランスが必要だがどれだけその人を知るか。
そしてその人の話を聞いたかの重要性に気づかされた事は今でも財産である。
その後の結果として真面目後輩は6ヶ月で退職になったが、きっとどこかで頑張っているだろう。
この経験と気付きは決して無駄にしない。
~次回、病棟集大成編パート2~