心はいつもそばにいるから
今日は、高校のときの学年主任が急逝したようで、お線香をあげに伺った
私はその先生と直接的な関わりはあまりなかったので、悲しみや寂しさが込み上げるというようなこともあまりなく、少し申し訳なく思ってしまった
それでも足を運んだのは、私の恩師である当時の担任が連絡をくれたからだった
会場へ着くと、担任の先生は私の姿を見つけてはすぐ泣き出した
私もその姿を見て、自然と涙が込み上げてきた
私の中ではなんとなく、先生はただの先生ではなかった
彼女と私の間には、先生と生徒以上の関係があったと思っている
高校生の私に対し、一人の自分の考えをもつ人間として接してくれていて、私の痛みをもよくわかってくれる人だった
当時先生からは「あなたにはレジリエンスという言葉がよく似合う」と言われたことがある
レジリエンスは、ただ「強い」という意味ではなくて、芯があり、しなやかで、何度でも困難に立ち向かえる忍耐力を表すような、そんな言葉らしい
買い被りすぎでは?と思ったが、素直に嬉しくて、いつしかそれは私の指針となっていた
高校を卒業し、成人式で先生と再会した
一応連絡先を交換し、前向きな言葉をいただいて、お元気で、とお別れした
それ以降、会うことがないと思っていた
先生と生徒として出会ったのだから、そのくらいの関係性で普通かと少し寂しくも感じたのを覚えている
しかしその2年後、私たちはまたも再会した
父の通夜に、先生がふと姿を現したのだった
私はもう、先生にとって過去の生徒でしかない気がしていたが、先生にとってはそうではなかったらしい
先生も早くに父を亡くしていたようで、どうしても自分とどこか重なるらしかった
そのとき、いつも笑顔で、大変な思いをしていることもこれっぽちも見せず、涙も見せず、それでいて周りの人を心から大切にしているのが伝わってくる、そんな先生(私の中ではアンミカさんに似てるって何回も思ったことある。)が「大丈夫だよ、応援してるからね」と声をかけてくれて、どんな言葉も鬱陶しく聞こえた当時の私にとって、唯一心が安らいだのが先生の言葉だった
そんな先生が今日、わんわん泣いていた
私は思わず抱きしめて「先生、大丈夫ですよ。」と言った
なにが大丈夫なのかは自分でもわからないけど、今度は私があなたの気持ちに寄り添いたいと心から思っていることを、行動で示したかった
先生の手や、背中や、表情から、底なしに明るくて頼り甲斐のある先生が、主任が亡くなられてから数日間、心細くて不安で深く悲しんでいた気持ちが、ひしひしと伝わってきた
私にとってはただの主任でも、先生にとっては頼れる上司で、欠かせない仕事仲間で、大切な存在だったことがよく伝わった
大切な人を亡くすことは、誰にとっても耐え難いことだ
月並みな言葉でしか言い表せなくて悔しいけど、改めてそう感じた
寄り添うことに限界はない、会う頻度や連絡の有無、距離なんて関係ない、私は先生の気持ちに寄り添い続けたい、いつまでも大切な人たちの心のそばにいたい
ずっと、人の痛みがわかる人間でありたい。