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悩むこと、について。


私は悩みにぶつかった時、必ず考えることがある
それは「明日明後日はわからないけど、1ヶ月後、1年後、はたまた5年後10年後、全く同じ重みのまま悩んではいないだろうな」ということ。

この考え方は、私にとってはいわば風邪薬みたいなもので、すぐに悩み終えることはできないけど、いつも少しの気休めにはなってきた

私の中では「悩み」と「時間」は切っても切り離せない関係にある
似たような毎日を送っていたとしても、時間が進む限りは、自分を取り巻くあらゆる要素が着実に変化を遂げていて、それと同時に、その中で生きる自分の悩みの重さや形態も変化を遂げるはずだと思っている

私は25年しか生きていないけど、人並みに悩み、考えてきた
いじめに遭った時、失恋した時、部活や勉強など打ち込んだもの、社会に出てからは仕事のこと、お金のこと、パートナーとの将来に対して。
その他にも家庭環境とか、誰かに対する劣等感とか、悩む友達になんて声をかけたらいいかとか、生きる意味とか、そりゃもう人生って悩みが尽きないよなと思うことばっかりで、でもきっと誰しもがそうなんだと思いながら過ごしてきた

そしてその間ずっと、「悩みとはいつか解決するもの」と信じ込んできた
自然経過的にだとしても、自力でだとしても。

だけど、私は一つ、絶対に解決し得ない悩みを見つけてしまった
それは「死んだ人に対する気持ち」だ
死んだ人は生き返らない、死んだ事実はもう二度と覆ることはない、死んだ人が変化することはない。
私は父を亡くしたとき、私のこれからに一切の光を感じなかった
解決し得ない悩みとぶつかって、弱く、弱くなってしまった

でも私がその悩みに、ずっと同じ強さで縛り付けられていたのは、その悩みを解決しようとしていたからだった
私が故人について悩む間も、世界は動き、時間は皆に平等に進んだ
変わらない事実と、変わっていく環境に挟まれた私は、ある一つの答えに辿り着いた

それは、「悩みは必ずしも解決しなくてもいい」ということ
「解決し得ない悩みなら、上手に付き合っていく方法を考えればいい」ということ

変わらない過去にひっぱられながら、変わっていく今に追いつこうとして、私自身が真っ二つになりそうだったが、
いっそ解決できない悩みなら、それを抱えて生きていこうと、それを抱えて生きていくしかないんだと、ふと腹を括れた瞬間があった

そうしたら、私は私のことをより深く受け入れられるようになった
悩みと対峙していた自分から、悩みを自分の一部にしてしまい、丸ごと肯定してあげられるようになった、
ときにどうしようもなくうじうじする自分すらも、許してしまえるようになった


悩んでいる時間の多くは、苦しかったり、切なかったり、辛かったりすると思う
そんな時間を好む人は、あんまりいないかもしれない
だけど、悩み考え抜くという、目に見えるところでは何も生まれていなさそうなその時間こそが、その人をより広く、より深くしていくと私は思う
相手の気持ちを想像できるようになったり、次に同じようなことが起こった時に乗り越える術を知ったり、単純に強くなったり。

そう思うと、悩みをもつ人はとても尊くて、そんな自分さえも愛してしまってほしいと私は思う
なんとなく距離を置きたいと思えてしまう「悩み」さえも、あなたの素敵な一部なのだから

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