
ポケットから出てきた、不思議なものの話。
冗談と思って誰も信じてくれなかった本当にあった不思議な話を、今夜はしたいと思う。
十数年前、私は某地方都市に住んでいた。その当時、私は地下鉄の始発列車に乗って職場に出かけていた。
今くらいの季節の頃だったと思う。
まだ暗い早朝の時間、寒々とした駅はまだ人影が少ない。出発数分前の始発列車、私の乗っている車両には、乗客は私ともう一人だけ。私の斜向かいに座っている小柄なゴム長靴を履いたおじさんだ。
ガタッと列車が動き出す。次の駅までは1分弱。発車して間もなく、小さなおじさんは立ち上がり、たった1駅乗って降りていく。駅と駅の間は歩いても僅か数分の距離。始発を待って乗ったのに、わずか1駅で降りちゃうの?
次の駅では、小さなおじさんと入れ違いで、また別のおじさんが乗車してくる。新しいおじさんは大柄で恰幅の良い体格で、ニット帽を深く被っている。
小さなおじさんと大きなおじさんが乗車口ですれ違う瞬間、私はある衝撃的な光景を見た。
大きなおじさんはポケットからあるモノを取り出し、小さなおじさんはそれをさっと受け取ったのだ。
そして二人がすれ違ってすぐにドアは締められ、列車は何もなかったかのようにガタッと発進した。
いったい小さいおじさんは何を受け取ったのか。
そのモノというのは…なんと、「バナナ」だった。
小さなおじさんは、大きなおじさんから一本のバナナを受け取って、たった一駅で列車を降りる。大きなおじさんはバナナを渡すと、何もなかったかのようにどかっと座席に座って腕を組んで寝はじめる。そのやりとりの間、二人には一言の会話も無い。
さっきのは一体、何?!
私は混乱して、笑いだしそうになるのをぐっとこらえて、そのままぐっと下を向いてマフラーに顔をうずめた。乗客たちは何もなかったかのように、静かに早朝の各々の時間を過ごしていた。
そして、次の日の事。
また、同じ時間の、同じ車両に、あの小さなおじさんが乗ってきた。
次の駅になると、小さなおじさんは列車を降り、代わりに大きなおじさんが乗ってくる。その二人がすれ違う瞬間、二人の手元には昨日と同じ一本のバナナが..
また見てしまった。
これは、とても怖いことなのかもしれない。
しかし、何故か笑えてしまい、私はまた必死に笑いを堪えた。
そんな二人の不思議なやり取りは毎日続いた。
1週間ほど経ったある日の事。
「あれ?今日はおじさん居ない。」
小さなおじさんは、いつもの始発列車に乗ってこなかった。
そして列車は出発し、次の駅に着く。
大きなおじさんはいつも通り、その車両に乗ってきた。
その時の大きなおじさんの顔を見ると、「あれ?」と驚いているような表情が浮かんでいた。
しかしすぐに元の表情に戻り、何もなかったかのようにどかっと座席に腰かけて、そのまま寝てしまった。
それ以来、小さなおじさんは二度とその列車に乗って来なかった。二人のやり取りは、突然、夢のように終わってしまった。
この話を友人にすると、「それはバナナではなくて、何か怖いものを渡していたんだよ」と言ってからかわれる。しかし、この話は嘘ではない、ほんとの話だ。あれは、確かにバナナだった。
なぜ、バナナだったんだろう。
あの二人はどんな関係だったのだろう。
今でも考えると不思議な光景。
もしかしたら、何かのショーだったんだろうか。