【東欧旅行記】プラハ #1 ”世界で最も美しい街”を歩く
こんにちは。
ドイツ・ミュンヘンに留学中の大学生、桜です。
実は先日、学期が始まるまでの2週間ほどの休みを使って東ヨーロッパを巡る旅行をしてきました。
「飛んでイスタンブール」と題したこの旅の旅程は・・・
プラハ(チェコ)
↓
ウィーン(オーストリア)
↓
ブラチスラバ(スロバキア)
↓
ブダペスト(ハンガリー)
↓
イスタンブール(トルコ)
↓
アテネ(ギリシャ)
と、約10日間で6か国をまわるなかなかハードなものでした(笑)
ものすごいボリュームなのでぎりぎりまでnoteにするか迷いましたが、
重い腰を上げて書き始めることにしました。
初回はチェコ・プラハ編から、長い旅路のスタートです。
”世界で最も美しい街”プラハ
私が住むドイツから見ると東側、ヨーロッパにおいては中央部分に位置するチェコ共和国の首都・プラハは「百塔の街」の愛称で知られ、世界でも数少ない千年の都の一つとして世界遺産にもなっている街です。
また、1968年のチェコスロバキアでの民主化運動「プラハの春」の中心になった広場で有名な新市街もあります。
今回の出発地・ドイツの東端の町ドレスデンから、FlixBusという格安バスでプラハまで2時間弱。(その安さから、今回の旅の地上の移動の中心はFlixBusでした)(これからも重宝しそう…)
街歩きをしているだけで、この街が世界一美しいとされる理由をなんとなくわかった気がしました。
旧市街の街並みは色とりどりで可愛らしく、中世ヨーロッパの雰囲気を視界いっぱいに楽しむことができ、観光客は皆ゆったりした歩調で鮮やかな街並みを仰ぎます。
旧市街広場
広場にやってきました。
日本・外国にかかわらず、「道がまっすぐじゃない街」が私は好きです。
地図を見ていても自分がどこにいるのかすぐわからなくなる、ただまっすぐ進んでいるのに新しい景色がどんどん出てくる様子に、歩いているだけで胸が躍るからです。
プラハは旧市街の石畳の道が特にそうで、迷路のような街を気分のままにひたすら進む楽しさを味わえる素敵な街並みでした。
旧市庁舎の天文時計
プラハの見どころの一つとして有名なのは、なんといってもこのからくり天文時計。
旧市庁舎の一角にあるこの天文時計は、今日に至るまでの600年以上もの時間を刻み続けています。天動説が主流であったころから存在するため、天動説に基づいた時間の刻み方も見ることができます。
一時間に一回、一番上の小窓が開いて出てくるからくり人形のショーを見に、たくさんの人々が時計の下に集まります。
ちなみにこの時計、上は天体の動きや時間を表す天文時計、下は毎月の農村の作業を表す暦時計となっています。
下の時計の内側には獣帯の星座(黄道12星座)が描かれていて、目を凝らしてどの絵がどの星座か考察するのが面白かったです。
ちなみに、プラハでは歴史上数回「民衆が誰かを窓から放り出す」という事件が起きています。
その第一回こそがこの時計台の窓で起きていて、ボヘミアの宗教改革者フスの火刑に激怒した宗教改革支持者がこの市庁舎を襲ったこと(第一回プラハ窓外放出事件)がきっかけでフス戦争が始まっています。
窓から人を放り出す”プラハあるある”に関しては、最も有名なものが後程(次回のnote)で出てくるかと思われます。
プラハの春
プラハといえば、冷戦中のチェコスロバキアにおける大規模な民主化運動「プラハの春」が有名です。
1968年、当時のチェコスロバキアの共産党第一書記・ドプチェクが率いた民主化への大きな改革運動は、ソ連によって厳しい弾圧を受けます。
その中心となったのが、旧市街の中心部から南東に徒歩15分ほどの場所にあるヴァーツラフ広場。
現在はカフェや服屋が軒を連ね、民主化を象徴する場所としてたくさんの観光客でにぎわっている印象でした。
ほんの半世紀前には人々がここで自由を求めて軍と争ったと思うと、ただただ立ち竦んでしまう、そんな威厳がまだ微かに感じられる雰囲気でした。
ハトがのんびり昼寝をしている姿すら愛おしく思えたほど。
”カール四世の橋”、カレル橋
続いて、プラハで最も有名で人気な場所といえば、やはりここ。
金印勅書を発布しプラハ大学を創るなどしたボヘミア王であり神聖ローマ皇帝のカール四世。
彼の治世のもと作られた橋は、19世紀末にその名をとって「カレル橋」と呼ばれるようになったのだとか。
プラハ市街を分断するように流れるブルダバ川にかかり、新市街と旧市街をつなぐこの橋、
両側に並ぶ様々な彫刻や露店、ストリートミュージシャンの奏でる音楽、そして向こう岸のプラハ城を眺めながらゆったりと歩く観光客で、とても賑わっていました。
このカレル橋を渡った向こう側は、世界最古の城として知られるプラハ城。
さらに入り組んだ街並みを進んだ先に佇む古城と、その長くて激動の歴史は、長くなってしまうので次回のnoteで・・・
私の東欧旅行はまだまだ続きます。