【東欧旅行記】 ウィーン#2 サラエボ事件のとき皇太子が着ていた服など
こんにちは。
ドイツ・ミュンヘンに留学中の大学生、桜です。
今回は、前回のウィーン編の続きです。
ベルヴェデーレ宮殿
オスマン帝国のウィーン包囲の際ウィーンを救った英雄・オイゲンによって建てられ、現在はオーストリアの美術作品を収めているベルヴェデーレ宮殿。
バロック様式の美しい庭園が後ろに控えるこの宮殿自体が美術館となっていたのですが、、、
あいにく時間の関係で入場できず。
「接吻」など、有名な画家クリムトの作品の数々などが展示されているので、ここのためにウィーン再訪はマストになりました。
美しい庭園だけ置いておきます…
オペラ座
こちらは街中にある国立のオペラ座。
私は観ていませんが、その日公演があったようで、きれいな格好に身を包んだ多くの紳士淑女たちがオペラ座へ入っていきました。
いつかはオペラ座でオペラを!と思ったのですが、
実は私ミュンヘンの国立劇場で一度「イドメネオ」を観て全く魅力を理解できず、、、
それこそエリザベートとかなら観てみたいですね。
ちなみに近くには、ハプスブルク最強の女帝マリアテレジアの銅像がある広場が。
シュテファン大聖堂
この大聖堂は、ウルム大聖堂(独)、ケルン大聖堂(独)に次いで世界三番目、オーストリア国内では一番目の高さを誇ります。
どちらも訪れたことがありますが、このシュテファン大聖堂は屋根の模様が美しかったです。
また、その最大の特徴として、外観はゴシック様式であるのに対し内装(祭壇)はバロック様式なので、内部がとても豪華だった印象です。
ヨーロッパを旅していると、どこの教会も大聖堂も同じに見えてくる現象が起きがちですが、この大聖堂はひときわ強いインパクトでこれからも記憶に残るだろうなと感じました。
ちなみにこの大聖堂周辺の市街地も、夜が特にとてもきれいだったのと、大麻が合法なオーストリアなので大麻ショップがそこらに(結構目立って)あったので、少し驚きました。
結婚式場と納骨堂
オペラ座や王宮のすぐ近くに位置するアウグスティーナー教会は、マリア・テレジアとフランツ・シュテファンやエリーザベトとフランツ・ヨーゼフら、ハプスブルク家の人々の結婚式に使われた場所です。
そしてこの教会に隣接するのが、ハプスブルク家の人々の墓所、カプツィーナー納骨堂。
名だたる皇帝や皇后らの遺体が安置されているこの場所、入ると少し地下に降りたところに、ひんやりと冷たい空気の中、重厚感のある棺たちがずらりと並んでいました。
そして比較的新しい時代の場所にあったのが、フランツ・ヨーゼフの棺とその両サイドに寄り添うように並べられたエリーザベト、そして息子ルドルフの棺でした。
左側の、ひときわ多くの花が供えられているのが、エリーザベトの棺です。
数々のハンガリー国旗のリボンは、彼女がハンガリー国民にも愛されたということを表していますね。
軍事博物館
そして最後は、ウィーン軍事史博物館です。
ここには三十年戦争以降のハプスブルク帝国・オーストリアの軍の資料が残されています。
この博物館でもっとも有名な展示と言えば、
第一次世界大戦の発端となった1914年のサラエボ事件に関するものが有名です。
一年ほど前、大学の先生が授業でこの展示を見たことを写真とともに話していたのを聞いた以来、どうしても行きたい!とかねてから思っていた場所でした。
凶器の拳銃まで展示されていたのですが、調べてみたところ、どれが皇太子の命を奪ったものなのかまでは現在もわかっていないそうです。
サラエボ事件なんて、中学校で習うレベルで有名な事件が、教科書の中の出来事ではなく、ほんの百年ほど前に本当に起こったことなのだと知らしめられました。
日本という比較的閉じた歴史を持つ国で習う「世界史」に出てくるのは、島国からは遠く離れたヨーロッパのことであり、どこか作り話のような他人事のような目で勉強していた当時ですが、
やはり現地で実物を目にすることで、自分が生きる同じ世界で起こった事実なんだと再確認することができた気がします。
そして、やはり何世紀もの間世界の中心だったヨーロッパの歴史はやはり激動で、濃くて、個人的には世界史を勉強していて本当に良かった、と思わされたこのウィーンでした。
また訪れたいな、と幾度となく思わされる魅力いっぱいの街、ウィーン。
次はもっとゆっくり時間をとって楽しみたいなと思います。
次回、スロバキア・ブラチスラバ!
旅はまだまだ続きます。