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泥中の蓮のように生きる

私がどう在るのかを試されているよう。

トラブルに見舞われる、必然とするならば感謝。

だって文章がスラスラ書けたんだもん。
今までずっと立ち止まっていたのに、
ただ今の気持ちをただただひたすらに。

文章ってこうやって書くんだぁ
がわかった!

最初からうまく書こうとしていたから、出だしですでに立ち往生。

トラブルは心に大きな傷を与えたけど、
それ以上に得るものがあった。

腹が立てばそれは自分自身が自分に腹を立てているだけで、
相手には関係ないこと。自分が自分を傷つける必要はない。

また相手の怒りを受けず(気にせず)にいたら、
それは砂を投げて自分に返ってくるのと同じこと。
怒りは自分へ返ってくる。
怒りによって自分自身が汚染される。

自分を見失わない。

いい人すぎる私がまた誕生!
よく騙される。

騙すより騙されるほうがよい。
できれば騙されたくはないが、
それもまた必然であるとするならば、
得られるものがあるのだろう。

感謝しかない。

私のような凡人が人生山あり谷ありと、色々な曲面に遭う、
まだまだ学ばせていただけるのだ。

裏切り、
これもまた人間不信に陥り、
人との関わりを避け、引きこもる。
しかしおひとり様が居心地よい。

自分の好きなことが何だったかもわからなくなり、
何がやりたかったのかわからなく、自分を見失う。

だけど引きこもりな、
おこもりぼっちは自分と向き合うことの必然。

休憩。

あーやっぱり花が好きだったわぁ、私。
あーこの本読んでみたかったんだぁ、私。
あー何もせずボーっとしよ、私。
あーこの香り好き、私。
え、ゴキブリ…どうする、私。

それで良い、私との対話。
自分を見つける。

トラブルは大抵は相手がいる、
自分を守ることも大事だが、
相手をも守る気持ちも大事である。

自分さえよければ。
それはしない、
相手がそれ以上罪を増やさないよう気をつける。

「罪を憎んで人を憎まず」
正しいことを心尽くし思いやりの心忘れず。

京セラの創業者、稲盛和夫さんの言葉に
「苦労や試練に遭ったときには、むしろ幸運と思いなさい」

「損得ではなく、善悪で判断できる人。
自分にとっては不利益でも、善であればそれを選択できる。」

なんと素晴らしい心の持ちようでしょう。

私はまだまだ人間性を磨く修行者なのです。

試練は度々起こり、
ついには限界!というところまでやってきます。

甘んじすぎていた私に、
動け動けと気づかせるため。

お陰様でその気づきは大きく、
そして手放してならない宝。

自分を取り戻すため学んだことへ
試練はまるでテストのようにやってきて、
私の心の在り方を何度も何度も確かめます。

今こうして書ける内容が掴んだもの。
私は私自身の唯一の心を手にしました。

さぁそろそろおこもりぼっちから踏み出すようです。

泥の中から茎を伸ばし蕾となり花を咲かせる
泥中の蓮

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