山口県美祢市の秋吉台と人々の暮らしを記録した聞き書き集~自然と人間の共生を考えるヒントに
「みんなでつくる中国山地」の書き手をしている重原です。久しぶりの登場になりました。今回は、005号で取り上げる「秋吉台の聞き書き集」について、本誌には書ききれなかった話題を含めて紹介します。
草原と共にある暮らし
美祢市の秋吉台を舞台にした「聞き書き 秋吉台と生きる 29人が語る『草原と共にある暮らし』」がMine秋吉台ジオパーク推進協議会(美祢市)から出版されました。
聞き書きをしたのは滋賀県在住で秋吉台の草原研究を続ける荒木陽子さん。2年間かけて昭和10~30年代生まれの住民29人にじっくりと話を聞きました。
秋吉台の草原
秋吉台は、日本最大級のカルスト台地。1955年に国定公園に、1964年に特別天然記念物に指定されています。緑の草原に白い石灰岩が映え、美しい景観を求めて多くの観光客が訪れます。草原には、秋吉台にしか生息しないものを含め、草原特有の貴重な植物や昆虫も多く見られます。
秋吉台の草原は、かつては牛馬のえさや堆肥などに利用され、生活との関わりの中で保たれてきました。農業や生活様式の変化に伴い、草原維持の目的は観光利用に変わりましたが、今も地域住民の手によって草原が守られています。
秋吉台の草原をぐるりと取り囲むように、それぞれの集落に持ち場があり、毎年秋に草原と山林の境目の草を刈って防火帯を作る「火道(ひみち)切り」と、毎年2月の火入れ作業「山焼き」を住民の手で行っています。
カルスト台地は起伏が激しく、石灰岩も露出しているため、火道切りや火入れの作業は想像よりもはるかに危険が伴います。美祢市でも過疎高齢化は深刻で、草原の維持が年々難しくなっているのが現状です。
秋吉台に魅せられて
荒木さんは山口市に住んでいた2006年に秋吉台の研究を始めました。2020年に滋賀県へ転居してからも秋吉台に通い、現在はNPO法人緑と水の連絡会議(島根県)の受託研究員として調査・研究活動を続けています。
荒木さんは秋吉台で2008年に「草原ふれあいプロジェクト」を立ち上げ、草を刈って利用することで草原の花を増やす「秋吉台お花畑プロジェクト」や外来種を駆除する「草原の復元プロジェクト」などに取り組んできました。2019年度をもってプロジェクトが惜しまれつつ終了した後も、シカによる食害の影響など草原の変化を把握するため、モニタリングを継続しています。
聞き書き集ができるまで
始まりは、Mineジオパーク構想研究チャレンジ助成を受けて2015年度に12人に聞き取りをしたこと。そこから地域の人の紹介で話を聞かせてくれる人が少しずつ増えていきました。秋吉台と暮らしに関する貴重な証言を「形に残すことで今までの恩返しをしたい」との思いで、書籍化することに。聞き取りの後に鬼籍に入った方もおり、荒木さんは「焦りもあった」と振り返ります。
草刈りや薬草採り、知恵と経験がぎっしり
本の内容は幼少期から親の草刈りを手伝い、小学校の遠足で薬草のセンブリを採った思い出や草原利用の“ローカルルール”など多岐にわたります。
山焼きについても、住民同士の阿吽の呼吸による連携プレーなど、長年培われてきた、そして記録されなければ消えてしまうかもしれない、経験に基づく知恵が詰まっています。文献にはほとんど残らない「秋吉台とともにあった人々の暮らし」を浮かび上がらせています。
私の個人的感想としては、「薪はクヌギが一番」「火は登りは速い、下りはゆっくりになる」など、当たり前のことなのかもしれませんが、覚えておきたいライフハックが満載。農家の地質に関する知識の豊富さにも驚かされます。特に、地元の特産品、美東ゴボウの生産者として地域をリードしてきた男性の時代を先取りする感覚と地域全体の発展を考えるまなざしに心を動かされました。
皆、時には牙をむく自然と格闘し、知恵を絞りながら暮らしていて、ベースには尽きることのない秋吉台への愛情を感じるのです。荒木さんも、秋吉台の草原は「先人たちによって愛でられてきたもの」だと話します。
山口弁がイイね!
聞き書き集を読んで印象的なのが、方言をそのまま生かした話者の自然な語り。「山口弁がいいね」という反響も寄せられているそうです。「普通の文章に直して書く方が早かったんですけど、それぞれ語り口が違うのがその人の味なので、残したいと思って」と荒木さん。
話し手の中には、私と直接面識のある方も多く、「文字に起こすのはさぞ大変だっただろうな…」と思いつつ、話者の自然な語り口に引き込まれます。この人なら自分の話を分かってくれるという、話し手の安心感、荒木さんとの信頼関係が伝わってきます。
名編集者の存在
実際のところ、膨大な聞き取り内容を1冊の本にまとめるにあたり、大変だったことは「会話調のやり取りを1つの文章にどうつなぐか」。会話としては成り立っていても、誰もが読んでわかる文章にするためには、言葉を付け加えたり情報を補ったりする必要がありました。
そこで救世主となったのが、山口新聞社を退職後、Mine秋吉台ジオパークガイドとして活躍している楢崎知行さん。私の前職時代の大先輩にあたります。デスク経験が豊富で、私が書いたものを含め、大量の原稿にメスを入れてきた楢崎さんの手によって、人々の語りが鮮度を落とすことなく、活字になりました。「著者名に私の名前が書いてあるけど、私一人じゃないんですよ。チームプレイで出来上がった本なので。私は聞いただけです」と荒木さん。
草原の変化と世代間の断絶
聞き書き集で多くの人が語っているように、昔は小学校の遠足で採っていたセンブリも今はわずかしか残っていません。荒木さんは、この50年の時代の変化や世代間の知識や経験の断絶は大きいと言います。
「皆さん子どもの頃からよく働いている。時代が違うといえばそうだけれど、昔の人にできて今の私たちにはできないことがたくさんあるんだろうなと思いましたね。今も草原の形はしているけれども、草原の機能や中身は当時とは変わっています。例えば、植物を見て使えるかどうか見る目や、危険を判断できる力とか、 失ったものは大きいと感じます」
ただただ一面に緑が広がっているようにしか草原を捉えることができない現代の私たちよりも、昔の人々ははるかに緻密に草原のことを把握していたのですね。
聞き書きの広がりに期待
出版後、読者から「この本がきっかけで自分の親に話を聞いてみた」という声も寄せられ、聞き書きに協力してくれた方から「子どもや孫は自分の話を聞いてくれないけど、この本を置いといたら読んでくれるかも」と期待する声もあるといいます。
今後は、楢崎さんとのコンビで、産業化が進む秋吉台の西台で聞き書きをする予定とのこと。荒木さんは、各地で地域住民や高校生による「聞き書き」活動が広がることにも期待を寄せています。
「今私たちが何気なく見ている草原を大切に守ってきた人がいることを感じ、愛着を持ってもらえれば」と荒木さん。この本を読めばきっと、草原の見え方が変わるはずです。ぜひ一読の上、秋吉台へお出かけください!
聞き書き集の詳細は
A5判244ページ、税込み1980円。秋吉台の展望台横にある観光案内所・カフェ「カルスター」などで販売中。問い合わせはMine秋吉台ジオパーク推進協議会(Tel:0837‐63‐0055)またはメールで(mine-geo@city.mine.lg.jp)へ。通販対応も行っています。
「みんなでつくる中国山地」005号は11月末発刊予定!
秋吉台の聞き書き集の記事も掲載している「みんなでつくる中国山地」005号は現在、発刊に向けて編集作業が佳境を迎えています。
11/30(土)@庄原市のウィー東城店
12/1(日)@中国5県の各会場
の日程で、発刊記念イベントが行われる予定です。こちらもお楽しみに!
writer/photo 重原沙登子(ローカルジャーナリスト)