【レポート】みんなでつくる中国山地トークイベント──ルチャ・リブロ青木真兵さんをお招きして@出雲市・句読点
6月14日(金)に島根県出雲市にある書店「句読点」にて「みんなでつくる中国山地トークイベント──ルチャ・リブロ青木真兵さんをお招きして」が開催されました。
トークゲストとして、奈良県の東吉野村で人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を営む青木真兵さんをはじめ、地域研究に奔走されている島根大学教育学部教授の作野広和さん、中国山地でおなじみの田中輝美さん、中尾圭さんが集い、トークイベントのテーマである「行き過ぎた資本主義にどう対処し、どう生きていくか」について議論が交わされました。
そもそも資本主義とは何でしょうか。辞書によると「封建制に次いで現れた経済体制。生産手段を資本として所有する資本家が、利潤獲得を目的として、自己の労働力しか売るものをもたない労働者から労働力を商品として買い取り、商品生産を行う経済体制(精選版 日本国語大辞典)」とあります。確かに資本主義は私たちの生活を豊かなものにしてくれた手段には変わりありません。しかし、働くことが生きる前提となり、人自体も商品同様に捉えられている社会のあり方に対して、青木さんは、働く以前に、人としての生活があることが蔑ろにされてしまっていると警笛を鳴らしています。
「社内の眼差しを内面化している」
青木さんはさらに、「売れる」「売れない」が基礎になっている現代社会において、貨幣換算や効率化などの眼差しを自らの中に内面化してしまっていることが当たり前になっていることに、気づいているようで実は気づいていないのではないかと問題提起してくれました。確かに、仕事をする中でも、効率化や採算性の向上が求められ、その上でお客様の期待を超え社会に貢献することが仕事の命題であると思う自分がいました。もちろん資本主義の社会の中で生きている私たちにとって、仕事は生活をするうえで欠かせない手段となっています。しかし、仕事以前に、私たちには生活があり、その上で仕事があるという順序を間違ってはいけない、知らず知らずのうちに順序が入れ替わってしまっていることから、そのしわ寄せが社会の行き詰まりを生んでいるということに改めて気づかされました。
「都市と村の原理」
このように商品化された現代社会がある一方で、商品としてや数値では表すことができない社会について、青木さんは、都市と村の原理として次のように述べています。都市は、「すべてが商品化され、かつ、無限の考えを基礎にして成り立っている現代の社会(近代社会)」。その上で、「無限を目指すと一人になる」と表現しています。一方、村は、「その土地の歴史、植生のもと、自然の中に人が間借りし住まわせてもらっているという有限性の考えを基礎としている現代以前の社会(前近代社会)」。さらに、青木さん自身が中山間地域に住まわれている実体験から、「現代以前の社会では、人だけでなく、動物や植物の存在が身近で、一人ではなく限られたもの中で生きていることを実感する」と述べています。このことから、有限だからこそ、周囲の物事に感謝の念を抱き「一人ではない」と表現されたことが腑に落ちました。青木さんは、これからの社会を生きていくうえで、この都市と村の原理はどちらが良い悪いという話ではなく、それぞれの原理に折り合いをつけて新たな生態圏を整えることが必要であると言います。
「答えを出すスパンが短くなっている」
現在、効率やコスト削減に重きが置かれ、いわゆるコストパフォーマンスを向上することが社会の目標になっている側面もあるように思います。確かに、最短経路でテンポよく答えを出していくことは理想ではあります。しかし、効率を重視することで、「早く答えを出さなければならない」という社会の眼差しを自らの中に埋め込んでしまい、無意識に生き急いでいることもあります。本来出すべき答えを導くことより、早く答えを出すことが目的になってしまい、「時間をかけて考える」ことの価値がなおざりにされている。商品として捉えられ、いかにコストパフォーマンスをよくするかに重きをおかれ、本来の目的が、時短にすり替わってしまっていることは、行き過ぎた資本主義が生み出した現象と言えます。そのしわ寄せが生活にも及び、社会の眼差しが内面化されてしまっていることで、生きづらさを感じている人も多いのが現実です。
「答えが『ない』からこそ『やる』」
作野先生は「問題集が好きな人が増えている」と言います。すなわち「すでに答えがあるからこそ、やる」。もう少し言い方を変えると「答えがわからないことはしない」という人が増えていると言えます。私たちは、わからないことがあれば、ネットで検索して、すぐに何らかの答えを見つけることが容易な環境に囲まれています。それはそれで大変便利なツールですし、生活の中でも、その恩恵をたくさん享受しています。しかし、今、私たちに求められてることは、答えのないことに挑戦し、「答え」を見つけようとすることだと作野先生は力強く言います。
「これからを生きていくために」
今回のテーマであった「行き過ぎた資本主義にどう対処し、どう生きていくか」。このヒントとして青木さんは、数値化されることが重視される社会の「中」と、数値化では表現できない社会の「外」のどちらか一方に決めるのではなく、社会の中と外を行ったり来たりしながら、生き物しての自分と”社会人”としての自分の二つの間を行ったり来たりしながら、自分にとってちょうどいいポイントを探り、生きていくことが必要だと述べています。社会の中と外の存在を意識しながら、自分の生きる感覚に触れること。そうすることで、「こうしなければならない」と思い込んでいた社会の眼差しや、当たり前だと思っていたことが、決して当たり前ではないという事実に気づくことができます。このように、自分の感性を働かせながら生きていくことが、これからを生きていくため必要なことだと自身の考えを述べてくれました。
「最後に」
トークイベントを振り返り、帰り道に余韻に浸りながら感じたのは、「有限性のもと、今あることが当たり前ではなく、いろんなものに支えられながら生かされていることに気づくことが現代社会を生きる上で大切だ」ということです。確かに、私たちは資本主義の恩恵を多分に受けながら生きていることは事実ですが、社会は資本主義の原理だけで成り立っているのではないということも事実です。固定的な考えに浸るのではなく、多様な考えに触れ、自身の感性を磨きながら、常にトライし、社会を様々な角度から見る目を養うことが今求められていると改めて気づくことができた時間でした。