イタドリの塩漬け
思いがけない物が届きました。
高知の知人からイタドリの塩漬けです。高知の人なら誰でも大好きなイタドリ。わたしは高知出身ではないのですが、徳島高知で合わせて20年近くを過ごしました。四国に住むまではよく知らなかったイタドリですが、本当においしくて大好物になりました。
タイトル画像は水にさらして塩抜きをしているところです。
油炒めが定番ですので、シンプルに炒めて少しあまから味で鰹節を山盛りかけていただきました。本当に美味しい。
こういうものを遠くにいてもいただけるって、すごい贅沢です。
今はコロナ事情でなるべく出歩かず、買い物の頻度も減らして通販で済むものは通販でということらしいです。
今の不自由な状況はなんとも窮屈ですが、時々こんなに便利すぎた生活自体、そもそもおかしかったのではないかと思ったりもするのです。
わたしが子供の頃、荷物を送るというのは結構大層なことでした。
鉄道小荷物というのでしょうか。JRがまだ国鉄だった頃、おじいさんと一緒に三ノ宮駅の高架下にあった窓口に荷物を持っていったときの光景が映像として脳裏に残っています。おじいさんはダンボール箱の荷物の隙間に注意深く新聞などを詰めてガムテープはあったのかな、しっかりと荷造りの紐で緩まないように括っていた様子も印象深く思い出します。荷物を送るっていうのは特別な感じがしたし、(まず駅まで荷物は運ばなければいけないし)親戚から荷物が届いたりしたときもすごいワクワク感がありました。
自分には関係のない荷物であっても、あのように大層な手続きを踏み、色んな人の手を介してここまで届いたのかと思うとすごいことのように思いました。何しろ、幼少のわたしは大人のすることがとてもすごいことに映っていました。身の回りにあるものも、目を瞠る物が沢山ありました。どうしたらこんなものが作れるのか。しかも自分と同じ人間がこれらを作っているという事実に慄いていました。よく覚えているのは鉛筆です。こんな細い木の棒の中にまっすぐに丸い穴があいていてその中に鉛筆の芯が隙間なく詰まっている。どうやったらこんなものを作ることができるのか。いつかわたしもこんなすごいことが簡単に作れる大人というものになるのだろうか・・・(いや、なれっこない・・・)と。
その言葉を耳にするまで、宅配便を使うことになんら罪悪感を感じたことがなかったわたしははっとしたものです。また、先に高知からのイタドリを食べる贅沢と書きましたが、「『贅→無駄(を)沢→たくさん』と書いて贅沢と言うのだ。」ともよくおっしゃっておられました。その言葉もよく思い出します。
今日もわたしは自分がほしいと思ったものをネットで見つけて買ってしまいました。小さなものですが、そんな小さなものも大きなトラックに積まれて届けてくださいます。イタドリも届いてとてもうれしいと思いました。
でもこういこと、ほんとは必要かどうか、無駄たくさんしてるんじゃないかと問うとどうなんでしょうか。
イタドリは野山に自生している植物です。
春になるとたくさん生え、もちろんタダです。(つまり経済活動とは無縁の世界です)
でも昔のことを思うと少なくなったと地元の人は言います。環境が少しずつ変わってきているのでしょうか。また別の理由があるのでしょうか。
わたしには仕事というものがあり、野山に行くこともなかなかありませんが、春になってイタドリを取りに行き、処理をして保存食にする。
そんなことにかまける?ことができる生活を営んでいる人が偉い人、、な気がします。イメージだけなのかもしれませんが。
高知でデイサービスに勤めていたとき、閉じこもり傾向のあるお婆さんが利用されるようになりました。家から離れることがきらいでした。お嫁さんが疎ましく思っておられたようで、母屋ではない畑の中の小さな小屋のような離れにお婆さんは住んでいました。トイレは畑に設置している仮設トイレでした。お嫁さんは食事を直接お婆さんに給仕されず出入り口の前にお盆で置いていらっしゃいました。だから?お嫁さんを非難したりするのは間違っているというか、ちょっと違うと思います。私達はこのご家族のことをなんにも知らないし、知ったからといってわたしはきっと大したことを何もできないからです。
デイサービスを利用するようになったお婆さんはあまり喋らない人でした。軽い認知症と言われていましたが、介護サービスを受ける方はだいたいそのような情報がついている事が多いです。でも耳が遠く、会話がスムーズではありませんでしたが、私自身は認知症という感じはあまりしなかったです。せっかく来てもらうのですから少しは来てよかったと思ってもらえることはないかと思いました。お婆さんはよもぎでもぐさを作っていたという情報を得、よもぎを乾燥させて手で揉む作業をしてもらいました。喜んでおられたかどうかわかりません。穏やかな表情で「ああ」と言ってもんでくださっていました。わたしがおばあさんのことを思って(ピント外れかもしれないけれども)なにか持ってきてさせているのだということを寛大なお気持ちでよく理解されているようでした。その傍らに座り、「〇〇さんは、どっか出かけていきたいと思わんの?行きたいと思う場所とかないん?」と聞きました。「ないわな」「行きたいと思わん」と答えられました。わたしは「なんで思わんの?わたしら遊びに行きたいってよく思うから、思わんのが不思議やわ」と言いました。(大きなお世話ですよね)そうすると、お婆さんは
「でんがが、はたらきよ。」(出掛けないことが働いていることと同じよ)と言いました。
わたしは、深く深く、「名言!」と心の中で唸りました。