最近気が付いたこと。
「夢を持ちましょう!🌟」
夢を叶えた人が言うと説得力がある。
でも、社会に出ていざ改めて
「夢を持ちましょう!😉」なんて聞くと、この世の中で夢を持って生きることがどれだけ難易度の高い事であるのか分かってるんか?こいつ??と思いました。笑笑笑
昔は素直に「そうだ!そうだー!」と思っていたのだろうから、自分も随分と社会に染まってしまったようである。笑笑笑
自分も言われたとおりに夢を探して、
夢を持って生きていた時期もあったけれど、
社会人になった時、大学卒業して社会人になる頃にそんなキレイな夢を持っている人なんて100人中ひとりいるのかなー?と思うくらいの現実社会が、世の中にはありふれているなーと思った。
でも、それに対して「悪い事だ!」「やっぱり社会はダメだ!」なんて言いたい訳ではなく、ただただあの当時、視界に入ってきた光景が、目の前に広がっていた風景が、そんな風に見えたな〜って話です。
(リアルがそうだった。ってだけ)
そしてその景色を受け入れようとしたとき、そこから先の夢とか目標とか特にあるわけなくて、
でもそこから「100歳まで生きないといけない時代といざ対峙する!」って考えてしまうと、それはそれは将来に対しての不安が、学生の頃の大変さなんて遥かに越えて押し寄せてくるのは、当たり前じゃないでしょうか?
(少なくとも自分にはとてつもなくあった)
少し経って、
案の定まわりを見渡したら、理由はどうであれ社会に出てから鬱になっていた友達が何人もいたりして、自分は運よくそうはならずに今日までこれているけれど、そりゃそうなるよな…と思う事が幾度とあった。
はい、
まぁこれを読んでくれている方はほぼほぼ皆さんご存知の通り、
私は現在、仕事をしながら楽しく音楽をやっていま〜す。
ありがとーう♪
200枚アルバム売ったらワンマンライブ企画するー!なんて言いながら、
音楽をやっています。
この行為は、世間的には「目標とか夢とか言うものを持っている人」ということになるのかもしれないけれど、
外からみるとキラキラして見えているかもしれないけど、
(どうやったらそう見えるか考えているからそりゃそーでないと困るんだけどね、なんちゃって!笑)
でも本心は正直な事をいうと、別に個人的にはこの売り切ってワンマンライブをする!しなきゃいけない!って部分に対して、
応援してくださっている人に対しては誠に言葉が悪すぎますが、
そこまでこだわり無いです。
極端な話、アルバムが売れないなー、もういいやー、って思ったら急にやっぱ辞めた!ってやめることもあるかもしれないし、それが間違っている事だとも思わないです。
ただ、自分が人前に立って音楽を少なからずやっている以上、それを言うのであれば、
それがどうして間違っている事だと思わないのか説明できないといけないと思ってました。
なぜなら説明できなければ、見てる人からして「夢を諦めた人」とか「なんか言い訳を作ってる人」って映るのは当たり前でしょ?
自分でもそう思う。
今回こんな話を書こうと思ったのは、
それがこの歳になってようやくそれが説明できるようになったと思ったからです。
(音楽を辞めるわけでは全く無いけどね笑笑)
アルバムが売れないなー、もういいやー、って思ったら急にやっぱ辞めた!って事を、場合によっては必ずしも間違っている事だと思わない理由を、上手く言語化できずにずっといました。
でも、それが間違っている事だったらそんな人この世の中には山ほどいるでしょ?
でも、そんな訳ないでしょ?笑
みんな頑張っているのに、途中で辞めた瞬間に間違っていた…残念…になる?
んな訳ないでしょ?
(勿論、場合によっては残酷だけど「間違っていた」になるケースもあると思う。笑)
よくある、夢が破れた人に対して「本気でやっている人と比べて本気じゃなかったからだ!」とか「そこまでの才能がなかったからだ!」とか、耳にしたりする事がある。
ケースバイケースだし、
それを全否定する事はないけれど、
おそらく本当に根底にあるのは、そんなしょーもない話な訳がなくないでしょうか?
(特に、スポーツではない音楽の世界に関しては)
なぜ応援してくれる人がいるにも関わらず、ある時突然急に辞めるという選択肢が、自分の片隅にあり続けているのでしょうか?
やっぱり、ただただ大変だからなのかなー…?
仮にそうだとしたら、なんで大変なんだろうか?
大変だとしたら何なんだ?
辞めたらラクになれる???
なんでラクになれるなら辞めよう!ってなるのだろうか???
それだけだと薄すぎないだろうか?
ほんとに一体どうゆう事なんだかね?笑
疑問しかありませんでした。
まぁ音楽に限らず、
仕事をしていて、この仕事なんでやってるんだろう?とか、勉強していてなんで勉強してるんだろう?とか、考えてしまう事って結構ありまして…
音楽だって、なんで音楽やってるんだろう?って同じように考える事が正直僕にはあります。笑笑
社会に出て4年半、最近仕事をしててなんでこんな作業してるんだろう?って場面に遭遇した際に、ふとその根底にある事がようやく分かったような気がしました。
そして、そこには「夢を持つ事がなんで大事なのか?」今まで理解できていなかった部分のヒントもあるような気がしました。
答えは本当に、恐らくシンプルです。
(この自分の感覚が正しいのであれば)
なんで勉強してるんだろう?
なんで仕事してるんだろう?
なんでこんな事してるんだろう?
その後に湧いてくる可愛い可愛いネガティブな言葉達が、
求めてないのに根底の大事な部分を優しく包んで隠してくれている。笑
目の前にある大事な時間を使って、
労力をかけて、
それなのに何も残らない報われない虚しさを
「なんでこんな事してるんだろう?嫌だなー」の
「嫌だな〜」が求めてもないのに優しく包んでくれている事に、恥ずかしながらこの年になってようやく気が付きました。
無意識のうちに報われない方向に向かっている事を「嫌だなー」の一言で終わらしてしまうの、本当に怖い。
なので、「なんでこんな事してるんだろう?」って場面で適切な対応を取るためには、
どうしたら報われるんだろう?って事を考える必要があるなーって事になるね?たぶん。
何故ならば、嫌だなーの前に「こんな報われない事するの虚しいやん…」が隠れていたわけだから!
って事は繰り返しになるけれど、
「なんでこんな事してるんだろう?」に対して、
「どうしたら報われるんだろう?」を考える必要がやはりある訳だ!!!
そうするだけで「ほぼ確実に報われない方角」から少しでも「報われる可能性がある方角」に方向転換できるんだろうなーと思うようになりました。
そしてそこが見えると、
今の時代、恐らく夢を持っている人の方が少ない中で「頑張って無理して夢を持つ必要はそこまでないなー」っても思いました。(良い意味で)
夢を持つ事で、
1つの大きい部分は今回の話でいう「報われる」という部分を大きく設定して可視化できる!ってことかもしれません。
何を達成した時に「報われる!」と感じられるのか見えてないよりも見えていた方が、
日々の1つ1つの行動に対しての判断が簡単になると思う。
そういう意味で夢を持つことは良いことかもしれないね?
でもそれだけの話であれば、同時に別に夢なんて無くても破れてもシンプルに目の前にある事に対して「どうしたら報われるのか?」を考えられさえすれば、
今の時代、たぶん生きていて報われる瞬間が沢山ある方向に向かっていけるんじゃないかなーと思ったりもしました。
そして本当にしんどい時に、目の前の事から「一度手を引く選択をする」ことが、その後において一番報われる方向に行ける可能性が高いと思うのであれば、
仕事だろうが、勉強だろうが、音楽だろうが、
それはきっぱりと辞めるべきだな!って思う訳です。
音楽をする!仕事をする!勉強をする!
実はそれ以前に、誰しもガチの生身で人生ゲームをプレイしている。
たった一瞬の閃きで決める判断なんかではなく、
そのプレイしている人生ゲームで少しでも報われる結果を残す事をしっかりと深く考えた上で、
目の前の事から手を引くことが最適解であると思うのであれば、
やはりそれはそうすべきだと思う。
ってことで、夢とか無くても破れても全く問題ないけれど「生きている事に対して報われたい!」って心底思っているんだなーって最近気がついた!って話でした。笑
まあ結局そう考えると、
今の自分が1番報われたと感じられる瞬間は明らかに色んな人の前で歌ってる瞬間なので、
引き続き音楽やらさせていただきまーーーす!😆笑
宜しくお願いいたしま〜す♪笑
いぇーーーーーい!!!笑
以上!!!!!
ワンマンライブの企画をするまで!
アルバム残り151枚です♪♪♪
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