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嘘でも良いから「いつかまた」

 11月後半になった途端急に寒すぎる。そして11月は忙しすぎる。土日の予定がすべて埋まっていて慌ただしい。自分で勝手に埋めている予定だけど、家で丸一日まったりするとか、家族以外と話さず外出しない休日がないとメンタル傾くタイプなので、流石にちょっと苦しい。よく考えてスケジュールを組んでくださいわたし。と、思いつつ観劇スケジュールとかはどうしようもないんだよなぁという気持ちもある。1日がかりで戦い抜くAGFだって今年もとっても楽しかったし。AGFの交換スペに立つと、今年の流行が知れて面白いし、また1年経過した感慨があります。ツキウタ、AGFに行くとまだまだ元気で嬉しい。また1年頑張ろうね、名前も知らない同志よ。

 ということで今日も外に出た。まずは2ヶ月ぶりの美容院。わたしは美容院とかはお気に入りの担当さんを見つけ出して長く通うタイプです。今の担当さんは前の担当さんが産休になってしまって美容院ジプシーしてた春22の後くらいに出会ったので大体満2年のお付き合い。わたしがオタクなことに理解があり(本人も元ジャニオタ)、これまで色んな話を聞いてくれている方なのでとっても楽。年齢も近いし。
 今日はいつものカットカラートリートメントの傍らで「熱中しているときのアドレナリンが忘れられないから狂いたいって思うのかも」みたいな話を聞いてくれた。「狂いたい」ってなんやねんなのにちゃんと聞いてくれてすごい。仕事だとしてもすごい。そして日常的にこのnoteみたいな煮詰まった話を赤の他人に浴びせてるのちょっとヤバい。近頃は友人と自分をお互いに比較して「日常と狂いが近いタイプと、ちょっと遠いタイプがいるよね」という話をしています。わたしは日常は割と冷静なタイプ()なので、気合いを入れて「よしっ、頑張るぞ!」てならないとアドレナリンどばどばになれない人。

 美容院で軽く髪を巻いて貰って、一旦おうちに帰ってパン屋さんのパンを食べ(サーモンのサンドウィッチ美味しかった)、はじめて新宿のMILANO-Zaに行った。当たり前に周辺の治安は悪い。あと歌舞伎町はインバウンドで海外の方が沢山いらっしゃる。本当にすごい沢山。
 そんなところまで行った目的は「東洋空想世界 blue egoist」の観劇。シンプルに立石さんが出ているので行こうか~って半ノルマ的に取ったチケットだったけど、筆舌しがたい凄味があって、今年いちばん脚本が刺さったかもしれなかった。狐につままれるってまさにこのことかもしれない。
 正直に言うと本当に申し訳ないけど、わたしはこの作品にあんまり期待していなかった。別に作品がつまらないかもしれないとかじゃなく、わたしの趣味に合う作品じゃなさそうだなぁって解禁とかBeginningイベントの様子とかをちらって見て思っていた。だからそもそも全然乗り気じゃ無くて「一旦観る、か」くらいのノリで行ったので色んなことにびっくりしちゃった。
 観劇後の感覚としては数年前に観た「キ上の空論#17 けむりの肌に」に近いかも。ままならなくて、最後が上手く咀嚼できなくて、でも考えずには居られなくて、ずっと歯がゆい感じ。ファンタジーとリアルをドッキングした設定から繰り広げられるあまりにメタすぎる台詞たちにボロボロ泣いてしまった。舞台上からの「説得力」という圧が半端じゃない。流石に面構えが違う、俳優達の。色んなこと乗り越えてきた美しい猛者たちを揃えただけある。
 ここが良かったどこがよかったって言いたいんだけど、それも上手く言えない。そもそも「よかった」という言葉が正確じゃ無い。だからとにかく観てくれ。最早自分の言葉でネタバレするのがちょっと結構イヤだなと感じている。表面だけのあっさりした感想として、とにかく歌は上手かったし、演出は美しかった。スタイリッシュなセットの中に置かれた退廃的な雰囲気の小道具、脚本のコミカルなところとちょっとグロさすらある人間の醜さがガッチャガチャで、「生きていくこと」の粗方の要素詰め合わせパックすぎた。物語の世界では散見される「よくある悲劇」「ありがちな背景」をもう一捻りしてたのがとても良かったし、安直なハピエンに落とさなかったことが個人的にはすごく「うわ……やられた……」って思った。それでこそ演劇であれ。わたしはあの人間のぐちょっとした心身の傷口や、癒えないままでも生きて行かなきゃいけない世界の残酷さが板の上に乗っているのが好き。観るのがツラいけど、ツラくて生々しいからこそ観たいというか。そういう意味では植田圭輔さん演出の「はじまりのカーテンコール」にも似てるところはあった。あれはハピエンだったけどね。俳優業をやっている人が演出やプロデュースに携わると、こういう切り口の作品をやりたくなるものなのかもしれない。
  わたしがこのnoteをはじめたきっかけはチョコ戦・チョコステで立石さん演じる康太が『永遠なんてありますか?今僕を好きだと言ってくれる人が、10年後同じように好きで居るでしょうか』という台詞を担ったことだった。今回の作品でも、彼ではなかったけど似たような台詞があった。もっともっと、生々しくてキツい表現だったように思うけど。永遠に好き、なんてない。わたしたちは誰かを勝手に好きになって勝手に期待するし、勝手に裏切られる。そしていつも誰かの目を気にして生きているし、いつも勝手に離れていく。「好きだ」と思った彼・彼女が紡いだ約束を裏切ったことなんて何度もある。そんなこと分かってるけど、でもやっぱりわたしは書かずに居られない。また次の彼のお芝居も楽しめたら良いなって。それがもしかしたら未来では嘘になってしまうかもしれない。でもいい。今、わたしがそう考えているっていう事実は「本当のこと」なので。過去の事実は良くも悪くもねじ曲げられないから最高だし、最悪。

 何かや誰かを好きでいること、そしてその「好き」を誰かに伝えることっていつもすごく難しい。自分勝手に「好き」でいてよくて、自分勝手にSNSを使えば良いのに、何故か何年やっても、どれだけ大人になっても、どれもこれも難しいまま。別にこの記事に洗いざらいのネタバレを書いたところで怒られる筋合いも無い。でもわたしは、今のわたしが感じている「自分の言葉で伝えられるほど簡単な感情じゃ無いんだよ、この作品が与えてくれるのはさぁ!」っていう状況までを閉じ込めておく手段として、これを書き記しておこうと思いました。何事も残しておくことは大事。もっと色んなことを積極的に残しておきたいなって最近よく感じている。どんなに願っても、頑張っても、どうせ今日のことだっていつか忘れちゃうんだからね。

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