ちいさい世界

 気付いたら桜は散り、もうだいぶ葉っぱになってきた。ニュースを見たら今日は北の方が暑かったみたいで、やっと春になったのにもう夏の気配がしているの?と寂しくなっている。春って毎年儚い。何を着たらいいのか分からないまま右往左往している間に終わってしまう。仕事のバタバタはようやくだいぶ落ち着きを見せたけど、年度末に作業の膨大さと共に煮詰められていた人間同士の軋轢やらそれぞれの人生の事情が沸騰して蓋を持ち上げて来て、とても面倒だけど、人間が集まるってそういうことなんだよなぁっていう諦めの気持ちもある。

 そうこうしている間に、冬単の東京公演が終わってしまった。記憶が薄まってしまうことが寂しくて、まだ配信を見られていない。明日見られるかな。今日はなんだか疲れちゃって元気出ないって思ったけれど、毎日仕事と劇場マチソワしてたら疲れもするよね。仕方ない。でもひとまず序盤は頑張りたかったから、頑張れてよかったなって思う。まだまだあと3会場もあるんだけどね。
 冬単はやっぱりずっと楽しい。去年の冬も楽しかったけど、やっぱり少しだけ外から見ている気分だからかもしれない。本命よりにわかのが余裕あるよね、みたいな。何となく自分が1番好きなのは春組っていう自我があるから、もちろん密のことを推している気持ちもあるんだけど、春単よりも冬単の方がいつも少しだけ気が楽。いや、今回は大して楽じゃないんだけど……。大好きな月下組がちゃんと、わたしが「大切」と思う形を2.5次元でも保ってくれていることに感極まって1週間ひたすら泣いていたし……。

 めちゃめちゃな情緒ではあるけど今回は色んな友人やフォロワーさんが会場で遊んでくれて、それが物珍しくてとっても楽しかった。2.5次元舞台を呪った日々を思い返すと、今の日々はとても不思議な気持ちでもあるけど、色んなオタクがいて勉強になるなぁって毎日思っている。勉強っていうのは別に布教活動とか激アツなオタク達の戦い方とかではなく(そういうのも無くは無いけど)、1人1人の推しへの向き合い方、好きなものへのマインドとか、大切にしているものへの考え方に「そうやって考えてもいいんだ」って思わせてもらえるのがびっくりするし、新しい物の見方を教えてもらえて楽しい。誰が何をどんな風に好きで居ても良くて、それを考え込むこともオタクらしさだし、考えずに楽しむこともその人らしさだし、それに間違いはないんだって感じる。わたしも好きなもののこと、もっと「好きだ」って言うシンプルな気持ちを大事にしたいなとか、難しくかんがえないでただ楽しいだけでもいいんだって改めて思ったりもした。具体的なことを書きたくないからとても抽象的な文章になってしまったけど、でもわたしと一緒に冬単の話をしてくれた何人ものオタクたちのこと、より一層、会えて良かったなって思った東京公演期間でした。
 オタクとしても普通の人生としても、色々なことに傷ついたり挫けたりしたので、「人と繋がり、対話する」ということから何年も逃げていた。だから小さな世界が煮詰まって干上がってこびりついた思考があり、それは良くも悪くも簡単には変わるものではない。でも、食べ終わったカレー鍋みたいにお湯を入れて渇いた心をふやかして、少しずつ価値観を変化させたり、変化を受け入れてカレースープにしたり、自分にない誰かの考え方をいいなと思えたり、そういうのが人生には必要だなぁと感じます。正しいことや好ましいこと、こうありたい姿。わたしたちには沢山の理想があるけど、理想通りにいかないからこそ自分や他人は面白い。多少の傷や歪みがあるから愛しくて、同じくらい悔しさや悲しみを持っていたりもする。そうやって、凸凹しながら人は人と付き合っていくんだろうな。
 何て言うか、最早冬単もそんな話だったよねって、そんな風に言ったら怒られちゃうかもしれないけど。何事もどこかでバランスが取れるようになっているのかなと思いました。わたしも何かを好きな気持ち大切にしたいし、また誰かに出会いたい。なんてね。
※冬単の感想はすべてが終わったらまたゆっくり書く予定です。

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