
地獄内は危険です(2)
Thermozodium esakii Rahm, 1937
昭和12年5月末、ラームは雲仙にやってきた。3年前に雲仙は国立公園に指定され、その翌年には外国人向けの美しいホテルも開業していた。
爽やかな初夏の雲仙で、優雅にテニスに興じる外国人たちを横目で見ながら、地獄に向かうラーム。地獄内で線虫を探すのだ。
調査対象が肉眼で確認できる生物の場合ならば、たとえば秘境を探検中の昆虫学者が、これまで見たことのない模様の蝶に遭遇して「おおおおお!」と大興奮したり、胴乱をぶら下げたヘムレンさんが、非常に珍しい花を見つけて「ひょおおおお!」と叫んだりするわけだが、顕微鏡でなければ見えない小さな動物が相手の野外調査では、そうはいかない。
ラームは湯煙と硫黄の臭気が漂う暖かい湯の流れの中に、青緑色の藻類を見る。温度計を取り出し、水温を測定する。念の為に、温度計は2つ用意してきた。温度は39.8〜41.7°C だ。「この藻類の中には、きっと何か線虫が生息しているに違いない」と、見えない相手の存在を妄想しながら、彼は湯の中に見えるヌルヌルした藻類をガラス瓶の中に苦労して集めている。
ラームに同行した研究者がいたかどうかは知られていない。おそらく案内人はいたはずだ。「だんな、そっちは危険です!」ラームが煮えたぎる源泉に近づきすぎる度に注意しなければならないので、案内人は大変だ。現地の人でも源泉付近を点検する際などに、地面を踏み抜いて大火傷をする事故が実際に何度も起きているのだ。
サンプル瓶をいくつも抱えてホテルに戻る。微小動物は顕微鏡で覗くまでは、いるかどうかもわからない。妄想だけが膨らむ。顕微鏡は壊れていないだろうか、それも気になる。

明るい窓際で、野外で採ってきたサンプルを小皿にとり、まずは実体顕微鏡で覗く。緑色のもやもやの中を見つめる。小皿を少しずつ動かしながら、丹念に丹念に、動くものがいないか、探し続ける。
目が慣れてきた頃、ピクピクと動く細い虫。いた!線虫だ!やっぱり線虫がいるんだ。よしよし、おおお、こっちにもいたぞ。顕微鏡の中の世界が、どんどん広がっていく。
ン? ナニ? オオオッ! クマムシもいた!
"Als ich das Material mikroskopisch durchsuchte, entdeckte ich zu meiner Überraschung unter den vorhandenen Nematoden auch einen thermophilen Tardigraden, die erste Tardigradenart, die aus heißen Quellen bekannt wurde." (Rahm, 1937)
(試料を顕微鏡で調べたところ、驚いたことに、センチュウに混じってクマムシも見つかった。これは温泉から発見された最初のクマムシの種である)
ピペットでクマムシを拾って、スライドガラスの上に移す。カバーガラスをそっとかけて、もう1台の顕微鏡で拡大して観察する。
オオオオオオッ!なんだこの形は!
温泉から見つかったクマムシは、真クマムシ類(シロクマやオニクマムシなどの仲間)と異クマムシ類(トゲクマムシの仲間)の特徴が混ざり合った、まるでキメラのような形をしていたのだ。
(つづく)
文献
Rahm G (1937) Eine neue Tardigraden-ordnung aus den heissen Quellen von Unzen, Insel Kyushu, Japan. Zoologischer Anzeiger 120: 65–71
冒頭画像
おーい、地獄内は危険だよ〜、そこの犬くん(2013年5月、雲仙にて)