見出し画像

人は何歳になっても自己ベストを更新できるのかチャレンジしてみた㉖

コロナ禍をきっかけにマラソンのタイム更新にチャレンジし始めたアラフィフおばさんの記録です。小さいとき、クラスで1番脚が遅くて走るのは苦手でした。そもそもなんでそんな私が20年以上も走ってるのでしょう?かれこれ4ヶ月以上続いている右ハムストリングスの痛み。「そもそも」論まで立ち返って振り返った長野マラソン、ようやく完結編です。

ゴール後のお楽しみ

ネット4時間45分でフィニッシュゲートを通った後は、25回記念大会メダルをもらって満開の八重桜の下で写真を撮ったり友人とレースを振り返りながら更衣室に向かいました。
へばりついたランタイツを脱ごうとしたとき、前日夕食をともにした友人から着信が。近くに来ていると言うことで、お言葉に甘えて温泉経由で駅まで送ってもらうことにしました。
合流した車内で差し出してくれたのが、お土産のおやき。茄子味噌、あんこ、迷ったけど、やっぱり野沢菜かな〜とパクリ。

一口食べたところであっという間に到着したのは、天然掛け流し川中島温泉というところでした。


施設内は綺麗で人もそれほど多くなく、よく見ると開店の花輪が。後から知りましたが、その前日にオープンしたばかりだったのでした。
そういえばここに着いて初めて、トイレに行きました。朝にいってから実に6時間経過。決して身体には良くないけど、やはり「行きたい気持ち」はマラソンスタート前後がピークということを改めて実感できました。

自分は適当に何か食べてるからゆっくり浸かってきて〜という友人の好意に甘えて、食べかけのおやきは一旦しまって、お風呂へ向かいます。塩と汗まみれのギシギシした身体の汗を流してお湯に浸かったときの気持ちよさいったら!ああ、、染み渡る〜。これこれ、これなんだよなぁ。どんな結果でも、走り終わった達成感と、疲労困憊の身体を癒やしてくれるお湯。日焼けした皮膚といつもよりホッソリに見える自分の身体が誇らしく愛おしい。
いくつかのお湯の種類があると、全てに入らないと気の済まない私は、露天からバイブラ、炭酸泉、水風呂、薬湯など、ちょっとずつ浸かってすっかり満足して出ました。

温泉のあとは、友人おすすめのケーキ屋さんにも寄ってもらい、ご褒美の季節のパフェを注文。本当はね、疲れた内臓を労って、少しずつ消化のよいものを食べていくべきなんだけどね・・・と話しながらも一つ一つのパーツをゆっくりと愛でながらギルティフリーで頂ける幸せ。五臓六腑に染み渡る美味しさでした。

帰りの新幹線で考える

友人にお礼と別れを告げ、駅でお土産などを買ったあと、東京行きの新幹線に乗り込みました。窓から流れる景色を時々見ながら、改めてガーミンの記録を見直します。平均ペース6'42''/km。結果としては4時間45分。コロナ禍に入ってから取り組んできたトレーニングだったのに、コロナに入る前の2019年の4時間43分も超えられなかった。一周回って、また元へ。のすごろくのようです。
その結果が本意ではないのなら、そこには必ず理由があるはすです。


はっきりしてるのは、20キロ以降にこれまで使う必要もなかったコールドスプレーに3回も手を出すくらい、右足の付け根が思うように動かなかったこと。そして全体的に身体が重くて、呼吸も内臓も疲れた感じ。
10月の横浜から進化するはずだったのに、どこからこうなっちゃったんだろう・・・。

10月 横浜マラソンで産後の自己新を出せた(このときは痛みはなかった)
11月 小江戸川越ハーフも自己新出せた(このときも痛みはなかった)
12月 インターバルなど取り組んだが3kg以上体重増。足立フレンドリーハーフは17kmからペースが落ちる。下半身強化不足を感じて、年末からパーソナルトレーニングに申し込んで筋トレを開始

12月ハーフの振り返り。
筋トレ、スピード練習を課す


1月 年明けのハーフマラソン、身体が重くて全然走れない。減量とリバウンドを繰りかえす。(このころから股関節から太腿にかけてずっと筋肉痛。何の痛みか判らなくなってた)
2月 大阪マラソン、筋肉痛とれないなぁと思いつつ、ファンランと割り切って制限時間いっぱい走る。
3月 MIZUNOの乳酸測定アドバイスで「LTペースを5分50」という結果に従い練習メニューに取り組む(ボディバッテリーも睡眠スコアも高いし、、と毎日走って筋トレも継続し、でも痛いなぁ、、と思い続ける)


4月 血液検査の結果を受けて食事の内容を見直したり、整骨院で診てもらいながら調整(なんか痛いけど持つかなぁ、と思い続けて当日を迎える)。

振り返っているうちに新幹線が上野駅に着きました。

大会後の夜


19時過ぎに最寄り駅に着き、背中と両手の荷物と重たい脚を引きずりながら行きつけのお蕎麦屋さんに向かうと、店の前で息子のゆちゃお(仮名・10歳)が待っていました。夫はぎっくり腰、娘はめんどくさい、という理由で外食拒否。走ることに最も縁遠い息子と、マラソンのことは関係ない1泊2日について話しながら、盛り蕎麦とほろ酔いセットが来るのを待ちました。ほろ良いセットには板わさと天ぷらがつくから。普通の天ざるだと、おそばの量が少ないんだよね。とゆちゃおの希望通りオーダー。
蕎麦処信州から帰ってきて、蕎麦屋に向かうのもなんだかなぁと思いながら話しを聞くと、なんと前夜もこの蕎麦屋の出前を頼んだと言うではないですか。いいの?と聞くと、昨夜はご飯ものにしたからよいとのこと。勢いよく蕎麦をすする息子の姿に、大きくなったなぁとしみじみしました。いつもは蕎麦屋では瓶ビールだけど、ゴール後の1杯はやはり生。染みました。

お土産の数々

帰宅後、夫や娘にもお土産を渡したり、大会報告をして床についた夜。身体は疲れているはずなのに、脳が覚醒してなかなか寝付けず、なんとなく、本棚にあったあの本を手に取りました。
「誰でも4時間を切れる!効率的マラソンメソッド」川越学著
その最初のページの「はじめに」の中に、著者の川越監督が特に大切にしている考え方が3つ挙げられていました。

「はじめに」の2ページ


1つめは、絶対に無理をしないこと
「たとえ体調不良でも、計画通りにトレーニングをしなければ成長できないとまるで義務のように走ってしまう人がいます」→はい、私です。MIZUNOのメニューだけはこなそう、週2回のPTだけはこなそう、これを義務化していて故障に繋がる要因を作っていました。

2つめは、ランニングを楽しむこと
出発前に夫に「もっと楽しみなよ」と言われるくらい、結果を出さなければ、、という妙な緊張感に凝り固まっていました。折角の遠征旅行、無理なくもっと楽しむことも出来たはずです。

3つめは、効率のよいトレーニングを行うこと
距離プラススピードの組み合わせ。10月のフル以降も毎月ハーフ、毎朝5キロ、そこにフルを入れて、痛くてもなんとなく毎朝走って、筋トレ入れて、形だけスピードっぽい練習も入れてたけど、筋肉痛長いなぁと思いながらも身体の声にちゃんと向き合わなかった。これは効率の良いトレーニングだったと言えるのか・・?最後は、脚がもてば、うまくいけばいけるだろう、とトイレ対策で誤魔化す運頼みのよう大会の迎え方。

そうか、私、これ3つとも、出来ていなかったなぁ。と、改めて思いながら、何度も読んだ本章にページをめくることなく本を閉じました。

走る理由と、目指す目標


長野マラソン後は、走らずに毎日を過ごしました。朝、昨日より痛みは少ない?まだいる。薄れてきた?いや、まだいる。の繰り返し。不思議なもので、痛みがあると色んなことが弱気になってきます。ランのみならず、仕事も育児も生活自体全て自分に自信がなくなってくる。そんなとき、オンラインマラソン部の「故障撲滅動画」で、治療家部長の「故障」が起こるメカニズムや、栄養薬剤師の先生からの「兆候」についての教えに励まされながら、自分が何で走ってきたか、その走る目的もしばしば振り返るようになりました。

2016年の新聞記事。
人は苦しい時や悲しい時心が動かなくなる。
でも、「走れば心が動き出す」
産後真っ只中に共感して切り抜いていた



長野から約1ヶ月後。自分の状態に耳を傾けつつ、治療院先生のOKももらって、以前から約束していた10キロの視覚障害者のレース伴走を1キロ8分ペースで走りました。それは健常者も障害者も一緒に楽しむHope & Possibility というテーマそのもので、参加している誰もが笑顔でした。そして走るとやはり、心が動きました。


長野マラソンの後のお風呂で感じた気持ちよさ。どんな結果でもやり切った達成感。仲間と繋がる喜び。大会後の青空の下で食べる崎陽軒のシュウマイ弁当の美味しさ。帰りの電車の清々しさ。また次のレース、次はどこ走る?…この気持ちの連続が、私が走り続けてきた理由だった。
走った直後は痛みが消えて、これならもっといけそう、という気もしてきました。でも、家に帰り、時間が経つにつれてまた強張ってきて、いつもの痛みが戻ってきます。治療院の先生にテーピングをして10キロ走れて、翌朝の今日もなんなら走れそう、と報告をしたところ、こんなアドバイスをいただきました。

走りはじめてから一時的に楽になったのは、筋肉の動きがスムーズになっていた時間です。時間とともに縮まるので伸びにくくなる→痛みを感じる。の現状サイクルです。目指すは日頃から伸びたときが楽な環境。その状態を維持すること。これは何度もお伝えしていると思います。そのためのいま必要なランオフとウォーキングをおすすめしました(中略)現状把握をしたら、目標に向かって進むために必要なことをコツコツ続けるしかないのです。飛び越えることは出来ません。年末から3月まで、自己流で悪化させてしまったことを理解し、そこを埋めるための3ヶ月の辛抱だと思います。

その後の1週間。
超ゆっくりで痛みなければスロースクワットを毎日10回。
お尻の上げ下げ運動を10回。
股関節回しを前から、後ろから、10回ずつを2セット。
気分転換にウォーキングを週に2、3回。

その次の1週間。
スロースクワットを毎日20回。あとは先週と同じ。
ウォーキング→ジョギングにしてみてもいい、ただし30分まで、キロ7分より早く走ってはだめ。走ったら翌日は必ずレスト。
今はこれを地道に続ける。今のありのままを受け入れよう。どうなりたいかを思い描きながら、5年後の自分への手紙を長野マラソン事務局へ投函しました。

なんで走ってきたのか?それは。大会で走れば走るほど、楽しいと思えたから。またそこに戻るために、今の目標は痛みなくスタート地点に立つこと。それはきっと、「いつかはサブ4」のプロセスの一つとして、全ては意味があることだったと懐かしむ日がくることでしょう。誰もが皆走っている街への旅路はまだまだ続くのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?