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人は何歳になっても自己ベストを更新できるのかチャレンジしてみた⑰

走り始めてゆるゆると20年。50歳を前に突如どこまでタイムを縮められるか取り組み始めたのはコロナ禍がきっかけでした…。今回は、タイム向上とかは少し離れて、ランニングで誰かに対して何か出来ること、のお話。

11年前の東京マラソン

先日、市民ランナーにとっては3年ぶりの東京マラソンが開催されました。この開催は、多くの市民ランナーにとって希望であり、今後のモチベーションを大きく上げさせてもらうきっかけとなったことでしょう。
私が参加したことのある第1回東京マラソンは、雨と疲労蓄積により15キロくらいでDNFという惨憺たる結果でした。
その後の第5回東京マラソンは快晴で、40キロ過ぎに夫から当時3歳の娘を手渡され、背負ってゴールしてもまだ余力があるくらい元気にリベンジできました。その日は2011年2月27日。

そしてその10日余りあとに、あの大惨劇が起こる訳です。皇居近くのオフィスから、品川区の自宅まで、歩いて娘を保育園に迎えに行って暫くして思い至ったのは、子どもを守るためにも体力、脚力の鍛錬と、命を守るための知識をインプットする必要性でした。会社に出社しながらも、走ってる場合じゃない雰囲気は何ヶ月も続きましたが、都内も少しずつ流通が動き始めた頃、また皇居ランを再開していました。1kmあたり100円というレート設定で、月末に〆めて被災地に走った距離分の寄付をする、というのを約1年続けましたが、被災地の人たちからたびたび聞くのは、自分たちを忘れないでということ。走れることは幸せで、余力があるから出来ること。ただ自分だけのためじゃなく何かに還元できないかと思いながら走っていました。

伴走のこと

遡ること2006年の春、いつものように仕事を終えて皇居を走っていると、楽しそうにロープのようなものを持っておしゃべりしながら走っている男女のカップルがいました。走り終わった後は女性は白杖をつきながらまた笑い合ってます。どうやって話しかけたのか記憶にもないのですが、途中から合流して、土曜日に練習やってるからおいで、と言われて4月のお花見の頃に初めて行ったのが伴走伴歩クラブ(バンバンクラブ)の練習会でした。伴走は足の速い人がやるものというイメージでしたが、アイマスク体験をさせてもらいながら、どんなゆっくりでも自分が走れることで、誰かのためにもなるなんてことがあるのだと知りました。好きなランニングをしながら人のためにもなるなんて一石二鳥だと思って始めたのですが、ただ単純に楽しく、喋りながら長く走っているうちに、ウルトラまで走れるようになっていました。ゆっくりのんびりおしゃべりしながら、なので、キロ7〜8ペースもここで身体に染みつきました。

故障してからの代々木公園でリハビリに付き合ってもらったのも、最初に皇居で出会ったTちゃんでした。お互いの近況報告を話しながらゆっくり10キロ。凄く満たされました。伴走は私にとって「してあげるもの」ではなく、「お互い与え合うもの」ですが、走ることで、何かの役に立てるのは嬉しいものです。

プロギング

2月某日。本当だったら湘南国際マラソンを走るはずの週末、初めて「プロギング」というゴミ拾いランに参加してみました。いわく、「ヨーロッパを中心に世界で流行中のSDGsスポーツ」との触れ込み。最初に準備運動をして、お手本の拾い方を見て、呼ばれたい名前や趣味を簡単に自己紹介しながら、約3キロ、ゆっくり走りながら道に落ちてるゴミを可燃と不燃に分けて袋を持ちながら走っていきます。ポイントは、目線を遠くに!前のものではなく自分の真横にきたところで拾う!腰を落として拾う!(ランジのまま拾うイメージ)。そう、腰をかがめてよっこらしょ、と拾うのではなく、あくまでも、スポーツなのです。終わってからはチームで何キロになったかの計測をし、一件綺麗に見える道端も、特にプラゴミは拾い続けるとなんと7キロ分。もう1チームと合わせて11からもの量になりました。

私は可燃ゴミバックを持って走ったのですが、袋を持たないランナーも拾うと声をかけて「可燃、いれまーす」「はい、ナイスでーす」とはじめての人と声を掛け合いながら拾っていく(走っていく)。そこで、自己紹介したときの話をしてきっかけに、「◯◯のあたりの銭湯のはいいですよ〜」「いつもは△△あたりを走ってるんですけど〜」みたいな会話が生まれる。これも、楽しく社会貢献できるランニングの形の一つでした。

皇居ランニングツアーガイド

2月は27日の大阪マラソンともう一つ、やるべきことがありました。(月曜配信のしいたけ占いにも、2つのことに絞る時、と書かれていた)
それは「インバウンド向け皇居ランニングツアーガイドの役目を全うする」ということでした。
このnoteでもたびたび登場してきた友人兼トレーナーのOさんに「皇居ランのツアーガイドの通訳をしてみない?」と誘われたのがきっかけでした。二つ返事でOKしたものの、話を聞いていくうちに、千代田区観光協会やJTBも絡んで、ライブ配信するために台本も用意され、日が迫るにつれ不安になってきました。カナダ人の友人にもオンライン上で相談したり、自分でも多少台詞をなぞってみたものの、1回目のリハーサルの結果はボロボロ…。台本をチェックするために終始下を向き、何を言ってるのか分からない自分の姿を後から画面越しで見てショックを受けました。そこからは一丸発起、毎晩Oさんとzoomで読み合わせをしたり、実際に皇居に足を運んで台本を見ないでどこで何を喋るか確認したり。焦りながらもう次の火曜日が本番、という土曜日。このnoteを書きながら、大好きなラジオを聴いていた時に、奇跡が起こりました。朝6時台に間違え電話、と思って1回は切った非通知表示がまた鳴ってるので出てみたところ、、
はろはろはろ〜と、まさかのハリー杉山さんと長濱ねるちゃんからの生電話。7年近く聴き続けているラジオに、実は、ちょこちょこメッセージを送っているのですが、この日も読まれるかな、くらいな気持ちで、皇居ランも英語も師匠であるハリーさんにアドバイスくださいと、メッセージを送っていたのです。

頭が真っ白になり、泣きそうになりながら、一生大切にしたい言葉をいただきました。

まず、その仕事を受けてスタートラインに立った自分を誇りに思って幸せを感じてほしい

そして、いつもよりワントーン高めに、ワンテンポゆっくり目のスピードで、自分の言葉で喋ることをアドバイスいただき、その場で冒頭何行分か喋ってみて、と言われます。真っ白になりながらも冒頭の紹介を言葉にしてみると、、

Fantastic! 何を悩んでるのかがわからない。ちゃんと自分の言葉で言えてるし、ちゃんと俺が耳でジャッジしてるんだから、ましてやオンラインの画面上で、絶対大丈夫。You can do it, my friend...

その後流してくれたBrueno Marsの曲は私の一生のパワーソングとなり、ライブ本番も聴きながら向かいました。そして無事、皇居を一周しながら、おススメスポットを紹介するツアーを終了することができて、またひとつ、走ることプラスαで、自分が何か人に対して提供できる可能性を見つけたのでした。
その日の夕方、大阪松井市長の会見Twitterが流れて大阪マラソンの中止が発表されます。2月中の私のやるべきことは、1つで完結したのでした。(つづく)

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