複雑機構における高貴な「天文表示」
前回は複雑時計にとって代表的な追加機構についてご紹介しましたが、そのなかでも太陽や月、太陽系の惑星の動き、星座の動きなどを文字盤上に表示した「天文表示」機構の精密さや美しさは、天文や時計好きの方には特別な存在ではないでしょうか。
「天文表示」機構が搭載された時計は数億円する場合もあり、また受注生産も多く、その格の高さは群を抜いています。
今回は、その「天文表示」についてご紹介していきます。
●「天文表示」時計が別格といわれる理由
人類にとって最初の時計的な存在は、自然界にある太陽、月、星であり、現在の時間と暦も天体を基準に作られました。
よって、「天文表示」は、時計の起源であり、天体の運行を知れば時間や暦がわかり、それ自体が時計であり永久カレンダーなのです。
古代ローマ時代から使用されるほど歴史は古く、その当時の貴族にも献上されたことからも、天文時計は権力の象徴でもありました。
また、天文時計の作者は職人なだけではなく、天文学の知識を有することから尊敬され、使用者も教養がないと使いこなせませんでした。
さらに、正確な天文時計を作るのは技術的にも困難で、 精度を少し上げるだけで技術的なハードルが数十倍にもなるのです。
現在ではあらゆる観測数値が文字通り天文学的な桁数に達しているため、ハードルが上がっており、それを小さな腕時計の中でクリアするには天文学的な試行錯誤が必要なのです。それに加え、どんなに精密な天文表示機構も時計自体の精度が低ければ役に立ちません。このため、高度な天文時計には高度な加工精度が要求されるだけでなく、トゥールビヨンなどの精度補正機構も必要となり、それも価格を吊り上げる一因となっています。
●「天文表示」の代表的な種類
現代の腕時計に見られる最古の伝統と格式を誇る代表的な天文表示の2種類をみていきます。
・アストロラーベ
天文表示のなかでも古く、‘星を捉える装置’の意味を持つギリシャ語が語源。
古代ギリシャで誕生し、イスラム社会で発達して12世紀頃のヨーロッパに逆輸入された天体観測です。現在の正座盤の原型となり、時刻や暦、方位などがわかる星時計として使用。
アストロラーベを時計と組み合わせて自動化した試みは古代ローマの水時計から見受けられますが、機械式時計の登場以降に本格化しました。
太陽や月、日食や月食の時期を示す針が加わり、独自の進化を遂げ、「プラハの天文時計」をはじめとしたヨーロッパの大聖堂や庁舎などで目にすることが出来ます。
・プラネタリウム
今日では、プラネタリウムは美しい星空の映像を見ることが出来る施設名となっていますが、本来はギリシャ語の意味で‘惑星の運行を再現する太陽系儀’のことです。
アストロラーベ同様に起源は古代ギリシャに遡り、水時計との結びつきも当時からあります。天動説の時代には、地球の周りを惑星が二重公転する「周転円説」などで観測結果と辻褄を合わせていたため構造は複雑でした。ところが、この「周転円説」のおかげで遊星歯車の技術が発達し、現在の地動説モデルに活かされているのです。
●ムーンフェイズの奥深さ
天文表示の歯車の組み合わせは無数にあり、その中から最適な解答を見つけ出すことは至難の業です。
そこで、ムーンフェイズを例に天文表示機構の奥深さをみていきます。
半円形の窓から、月齢によって月の表面の輝く部分が変化するムーンフェイズは、厳密な正確さを期待しなければ、手に取りやすい価格帯の機械式時計にも搭載されており、簡単な機構で作れます。
月の軌道は時期によって満ち欠けの周期が異なるので、新月から満月を経て新月に戻るまでの時間(朔望月)は近似値として平均で約29.5日とし、両端に月を描いて半周で1週期としたディスクを29.5☓2=59枚の歯を持つ星車に載せて1日/1歯づつ送り、1日2回転する時計の筒車とディスクの間に、送り爪を付けた車をギア比1:2で嚙ませれば、ディスクと送り車2枚のみの歯車でムーンフェイズ機構を追加できます。
しかし、平均の約29.5日では1日につき約90秒の誤差が出てしまい、2年8ヵ月で1日分の誤差を生じます。
修正ボタンを追加し、歯送りも可能ですが、永久カレンダー搭載の時計となれば、4年に一度うるう年にも対応しながらムーンフェイズは3年未満で修正をしなければいけないとなれば「永久」に恥じてしまいます。ここで近似値の精度を一桁(約29.53日)上げれば137年に1日の誤差まで縮まりますが、29.5は2倍すれば自然数の59になるのですが、29.53を歯数に落とし込むには100倍しなければいけなくハードルが一気に上がります。
腕時計のサイズに29.53歯の星車を搭載すれば径がおおきくなったり歯が小さすぎたりして使うことができません。
1980年代にこの難題をある時計ブランドが平均朔望月を29.53125日に設定したことで解決し、122年に1日までに誤差を短縮しました。
現在では多くのブランドの高級モデルがこれを採用し、 ‘122年に1日の誤差’を売りにしています。
【クロノスイス】
ムーンフェイズ表示と、ギョーシェ装飾が美しい文字盤。エレガントなクロノグラフに特別な魅力を添えています。
宇宙と星と地球の複雑な関係を示す天文時計。
時計師たちは、昔から神秘的な美しさと動きをメカニズムで再現したいという情熱から、さまざまな工芸的な美を極めた天文時計を生み出しました。
このような「天文表示」機構の文字盤の精密さや美しさは特別です。
天文好き、時計好きの方には一見をおすすめします。