新宿系であり続ける椎名林檎
昔から、新宿という街がすきだ。
東口を出て西武新宿方面に歩いていけば、歌舞伎町。
流行りの洋楽が流れる大型ビジョン、客引き、酔っ払いの怒号、吐瀉物、知らない言語、セックス用の女、煙草のけむり。人間の欲に塗れた街。
中央東口を出て右にずっと進むと、新宿三丁目。
伊勢丹と、高島屋と、丸井と。軒を連ねる、ブランドブティックたち。赤い裏底のハイヒールで歩きたくなるような、品の良い街並み。
西口を出てまっすぐ進んでいくと、西新宿。
そびえ立つ、ビル、ビル、ビル。早歩きで抜かしていく会社員とタクシー。そこに突然現れる、真っ赤な「LOVE」のオブジェの圧倒的違和感。さらに進んでいけば、待ちかまえるのは、都庁。
わたしは、新宿のどの顔も好き。というよりは、いくつのも顔を持つ新宿が好き。
池袋にだって、歌舞伎町と同じくらい汚く栄えているところはある。ブランドブティックと百貨店が並ぶ大通りなら、銀座のほうが煌びやかかもしれない。それに、日本のビル群といえば、丸の内。
これらすべての顔を持ち合わせているのが、新宿。
新宿は、百面相だ。
ところで、デビュー当時、自らを「新宿系」と名乗ったミュージシャンがいる。それが、わたしの大好きな、椎名林檎。
一般的なイメージとしての「椎名林檎の新宿」は、きっと歌舞伎町。彼女が1999年にリリースした「歌舞伎町の女王」がその所以となっていることはもちろん、彼女の「女と男」「欲」「愛」「性」を感じさせる世界観が、歌舞伎町を想起させるのだと思う。
ところが、東京事変を結成した椎名林檎が舞台にしたのは、新宿三丁目。デビュー曲「群青日和」で、「突き刺す12月と 伊勢丹の息が合わさる衝突地点」と歌っている。
冒頭の「新宿は豪雨」というフレーズで思い起こさせる「新宿」は、欲の塗れた街・歌舞伎町ではなく、品があって洗練された街・新宿三丁目。それでも、彼女は、れっきとした、「新宿系」。
じゃあ、今の椎名林檎は。
もう彼女は、「新宿系」ではなくなってしまったのか。
その答えが、2016年末に放送されたNHK紅白歌合戦にある。椎名林檎は、東京都庁舎の前で「青春の瞬き」を歌った。その時の歌い方や、表情。そこからわたしは、彼女がまだ新宿にいることを知った。
でも、歌舞伎町でも三丁目でもない。椎名林檎は今、西新宿にいる。
もし、池袋だったら、銀座だったら、丸の内だったら。どの街も、「丸の内サディスティック」に登場する地名なのだから、「〇〇系」と称される可能性だってあったはず。
でも、彼女には絶対に「新宿」がお似合いだとおもう。
新宿の持つ多面性が、椎名林檎をつねに「新宿系」としているのではないか。彼女が「新宿系」と自称してから、20年。曲調や、音楽に向き合うスタイルは、ずいぶんと変わったように感じる。けれど、彼女の底にある「なんとなくの新宿っぽさ」。これが、ファンの心をつかんでいる。そしてこれが、椎名林檎が日本の音楽シーンの先頭をつねに走り続けられる理由なのではないかな、とわたしは思う。
銀座シックスのテーマソングを歌ってみたり、リオデジャネイロ五輪閉会式や東京五輪の開会式を監督したり、彼女はいろんな世界に飛んでいる。
一ファンとして、それはすごくうれしいこと。
でも、それを終えるたびに「新宿の椎名林檎」に帰ってきてほしい、と思う。