フェミニストはもっと自分が便器に出したうんこを見つめ直さないといけない

キャンセルカルチャーがしょーもない。
腹が立ちすぎて言いたいことがとっ散らかっている。

自分みたいな人間にも良心はあるもので、ふとしたきっかけに児童養護施設への寄付窓口のwebリンクを貼ったりしていた。
しかしふと考えてみる。
一人の人間が所属する集団や所持する属性は一つではなく、自分がそれらの重なり合う領域に立っていることは、自身のアイデンティティを問う上で非常に重要な事実であるのですが。
AIにエロ小説を書かせている俺と、児童養護施設に寄付する自分は重なり合っているわけですが。

もし炎上したらどうするか?

とかく、気に食わない属性が目に入れば攻撃せずにはいられないという人間が多数生息しているのがインターネットであります。
AIに過激なエロ小説を書かせる人間なんてまともである筈がないとか、そもそもAIの利用規約違反だとか、そういう観点から俺が叩かれまくる可能性はゼロではない。
いや、俺はそもそも20年以上前から叩き叩かれ煽り煽られのインターネットの世界に生きているので、ネット上で煽られる程度なら特にダメージを受けるというほどのこともないのですが、児童養護施設は負けるかもしれない。
「AIにエロ小説を書かせてるようなヤツから寄付を受けるとは何たることか」「そもそも善人も悪人も寄付できるような窓口が開いているのが悪い、今すぐ窓口を閉じるべきだ」などという理不尽な誹りを受けた児童養護施設が気後れしてしまう可能性もまたゼロではない。
俺自身は児童養護施設に寄付したいと思っているので、寄付の窓口が閉じられるようなことがあればとても寂しい。
無事児童養護施設の寄付窓口が閉じられれば、そこで晴れてキャンセルカルチャーの成立となる。

直接負かしたい相手には勝てないのに、相手が助けたいと思っている対象を殺すことで間接的にダメージを与える。この手法が卑怯極まりない。
キャンセルを達成した人の感情だけが少しばかり満たされるだけで、それ以外の利益を得られる人はどこにも存在しない。

キャンセルカルチャーへの対抗手段はないのか?

対抗手段というと、大学の恩師の講義を思い出す。
その日はベンサムの功利主義についての講義だった。
その講義が終わった後、私は教壇に立つ講師に、「功利主義に対抗しうる概念はあるのか」と質問した。
講師は首を横に振り、「己の心で反抗するしかない」と答えてくれた。

キャンセルカルチャーへの対抗の難しさは、この功利主義への対抗の難しさと似た性質を感じる。
限定された環境で、この場では道徳的にはキャンセルする側が正しい、を盾にゴリ押ししてくるのだ。
すなわち、キャンセルカルチャーはミクロな視点に功利主義を持ち込むことで対抗手段を奪う。

ミクロな状況下で極端な価値観が優先されてしまうのがマズいとなれば、どれだけマクロな視点での話し合いに相手を連れて行けるか、相手がついてきてくれるかが有効な対策となるハズである。
ではどのようにマクロな場に話を持っていけるか。
話術で話題を誘導する技術があればどうにかなるか。
あるいは金銭が発生する場で会話することで、極端な話題が出づらいようなバイアスをかけることができるか。

もっとも、マクロな視点の会話を成立させるだけの視野を持てる人がそもそもいるのか、という点には留意する必要がある。
全てを知る覚悟がある人は少ない。
全て知ってなお正気を保てる人は少ない。
全てを正しく取捨選択できる人は少ない、もはやいない。

知る覚悟が最近足りてないと思った時、自分は、ショットガン自殺とか、糖尿病壊疽などと検索し、認知を破壊するようにしている。
およそ正常とは言い難い脳内マップや思考回路を敢えて構成していく。
グロ画像を見た後の方が頭がおかしくなるのか、グロ画像を見る前から頭がおかしいのか、もはや自分でもよくわからない。

グロ画像を見ると、頭の中の何かのスイッチがオフになる。このスイッチオフ状態は常用すべきものではないが、例えば、家族を殺そうとする加害者から家族を守るためには、俺はその加害者を殺さなければならない、という確固たる決意は、グロ画像を見ないと生まれてこない気がする。

でも一般的には得体の知れない脳の防御機能が働いて、自分を加害するかもしれないししないかもしれないあらゆる人間を遠ざけてしまう、あるいは防衛本能が過剰に働いて攻撃される前に攻撃してしまう人も少なくない。
キャンセルカルチャーは見なくてもいいものが勝手に見えてしまうインターネット時代が生み出した魔物なのではないか。
理解の及ばない事物や現象に対して咄嗟に拒絶反応が出てしまうのは仕方ない部分もある。

それで言えば、本来であれば拒絶してしまうようなセンシティブな事柄であっても、理解が及ぶように、普段から意図的に汚いものを見ておく必要があるのではなかろうか。
キャンセルカルチャーしてる暇があったらグロ画像を見ろ。
糖尿病で入院してるお前のじいちゃんがわがまま言って迷惑かけてる病院に行って、腐り落ちた足を見せてもらえ。
見たくないものなんて世の中にいくらでもある。なんなら自分が便器に出したうんこを写真に撮るだけでもいい。

うんこ。
これだ。
みんな自分の体から毎日うんこが出てくる事実を正しく認識できてないのではないか。
一番汚いのはお前が自分だと認識できないお前の中身なんだ。お前のうんこを写真に撮れ。キャンセルカルチャーに加担するのはそれからでも遅くない。
自分のうんこを写真に撮って公開していないヤツはキャンセルカルチャーをやってはいけないのだ。

「私は自分のうんこの写真を撮って額縁に入れて飾ってるからキャンセルカルチャーに加担してもいい」とみんなが思える社会、どうでしょうか。
そういう社会にしていきましょう。
もっとフェミニストのうんこだらけの社会にしましょう。
うんこを出してないフェミニストはダメだ。まともな人達が常日頃から常にこのように発信していきましょう。

月末に焦って書いた文章がコレです。なんだコレは。終わり。

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