穏やかに死ぬという選択
我が家のねこが亡くなった。
我が家の絶対君主であり、女王さまがいなくなってしまったのだ。
時間が経つにつれ、
「あ、そっか、これはもうやる必要ないんだ」(ご飯の用意とか)
「あ、そっか、ここは閉めきってもいいんだ」(押し入れとか)
「これはもう捨てちゃっていいんだ」(ねこ用トイレとかベッドとか)
ということが出てきて、なんだかもの寂しい。
動物って、いつもとんでもなくいろいろなことを教えてくれる先生。
今回は、
穏やかに死ぬこと、
苦しまずに死ぬこと、
最後の最後まで普通に生活できること、
そんな方法を学ばせてもらった。
そして、それを人に伝えていくんだよ、ということも決意させられた感じがしてならない。身を以って、文字通り自分の命をかけて、そんなことを教えてくれたのかな。そんなことする必要なんてないのに・・・
鈍感で臆病な私に一念発起させるためなのか・・・
それにしても強烈なメッセージ過ぎる。本当にこうでもしないと気づけない馬鹿な私でごめんなさい。
ずっと一緒にいたので、肉体の変化に合わせてホメオパシーでケアし、そして、ヒーリングもとことんやった。もちろん、浄化も。
おかげさまで、たくさんの奇跡を真近でみることができた。
「死」は忌み嫌われるけど、決して不浄のものではなく、むしろ、とても綺麗なものだった。だから死後の場の浄化はまるっきり必要なく、私たち人間のイメージや想念を浄化することに費やした。
結局、人間が動物たちの死をもおかしくしてしまっているのかもしれない。
そんな最期のケアを人間や動物たち、そして植物たちにもしていけたら、地球貢献って言えるのかもしれないな。
だから、まずはコミュニティメンバーの希望者に教えていこうって思いました。
おっと!泣いてると、今度は我が家の犬が心配して来てくれます。いかんね、君はもうちゃんと昇華できてるのに。
ほんと日々、学ぶことが多い。