【大2の就活】成し遂げたいことってなんだろう?
「お前の行動一つ一つは先鋭的なんだよね」
と、先日、週に1度行っているボランティアへ向かう車の中で大学の教授に言われました。先鋭的とは、考えや行動などが急進的だったり改革的だったりすること、またはそうした様子のことです。
正直反論できませんでした。「ついにバレたか、というかバレてるよね、そりゃ」というのが私の感想でした。
私には大切にしたいもの、守りたいもの、やりたいこと、やってみたいことが多すぎる。それらに優先順位がつけられない。それが何よりの悩みで就活に関してもその部分が曖昧な分悩むことも多いです。
やらない後悔よりやる後悔。やりたいことに挑戦できるチャンスがあるなら絶対やってみる、をモットーに生きている分、まぁ正直やっていることのジャンルはバラバラです。
やりたいから、大学の体育学部系授業も真面目に受ける。
→勉強も楽しいし、その分成績は「賄賂渡した?」ってくらい良い。
やってみたいから、副専攻も取得を目指している。
→あと8単位で副専攻認定。成績もいいし、楽しい。
興味があるから、手話の勉強をしている。
→手話で聴覚障がい者と会話できるようになるのが夢。
会話してみたいから、英語の勉強をしている。
→春休みにオンライン留学を計画中。様々な国の友達が欲しい。
興味があるから、発達障がい児運動支援ボランティアをしている。
→子供嫌い克服。発達障がいについての知識も深まる。
大切にしたいから、マネージャーをしていた母校の野球部の手伝いをする。
→大好きな監督にも良くしていただいていて、今後も関わり続ける予定。
野球界での自分の居場所を守りたいから、野球の勉強を怠らない。
→最近慶応式のスコアの書きかたを勉強中。楽しい。
興味があるから、月に1度必ず舞台を観劇している。
→好きだけれど一番知識がないから学びとしても観劇している。
一度このあたりにしてみます。他にも「乗馬してみたい」とか「タップダンス習いたい」とか、「アクロバット出来るようになりたい」とか「韓国語・タイ語が話せるようになりたい」とか色々やりたいことはあるんです。
とにかく伝えたいのは、全てのジャンルがバラバラだ、ということ。だからこそ、「とにかくやってみよう!」精神になってしまい、「先鋭的だ」といわれてしまうのだと思います。
そして、優先順位をつけるのが本当に難しい。好きなことや守りたいことが多すぎて、ひとつ「これだ!」と決められない。これは「極められていない」のか「極めたいものに出会えていない」のか。
とある舞台でのタップダンスに惚れ、最近推している俳優さんが過去に私と同じ悩みを抱える方の質問にこう答えていました。○○は俳優さんの名前ですが、敢えて伏せます。
将来の事を考えると分からなくなったり不安な気持ちになります。大切な事がたくさんあって全部大切にしたい。けど、そうするにはどうしたらいいのか。○○くんが何かを選択する時に大切にしている事があれば教えてください!
→ぜんぶやる!やれなかったことは出てきちゃうかもしれないけど、やらない理由はないと思う。
納得!確かに間違いない!そうだと思う!!と思いつつも…
いや、それはね、わかってるんだよ!全部やってたら「先鋭的だ、もっと自分が成し遂げるべきことは何なのか考えろ、そしたら行動に深みが出る」って言われちゃったんだよー!!!!
というのが今の気持ちです。
教授は、「自分が生涯かけて成し遂げなければならないことはこれだな、とわかる日は必ず来る。それが何なのか、を考えなきゃいけない時期に来てるな」と。
きっと、答えは自分で見つけるしかないんだと思います。だから悩み続ける日々です。正直病みそうになるくらい悩んでいます。でも、教授が言っていることも正しいと思ってしまいます。
友人2人が「自分はそこそこ高学歴でここまで生きてきた。就職も無難にお金貰えるところにいければいいや」と話しているのを聞いたことがあります。皆さんはこの言葉にどう思いますか?
その友人たちは無難にどんな会社にも就職できるから、と法学部と経済学部に進学しました。その生き方に私は疑問を抱いてしまいました。確かに無難。でもそれって楽しいの?と。
お金はもちろん大事です。安定した職に就きたいから、と国家公務員を目指すような選択肢を否定するわけでもありません。でも、それって楽しい人生なのかな、って単純に疑問に思います。
私は、いくらお給料が低くても、自分がやりたい仕事がしたいです。派遣社員でも、アルバイトでも、自分がやりたいことを一生やり続けたい、という考え方です。
でも、やりたいことって、ある程度の地位や経験がないと成し遂げられません。例えば、飲食店のアルバイトが「新メニューを開発したい!」と思っても、全店舗に展開することはなかなか難しいでしょう?
だからこそ、就職活動の時点で、自分が成し遂げたいことが将来的にできる会社にしっかり入社したい。そう思って、先を見据えた行動を心掛けています。大2の就活だって、その一部です。
でも、教授からの一言で、基本の部分がわからなくなってしまいました。
◎「成し遂げたいこと」って何だろう。「やりたいこと」とは違うのだろうか。
◎「成し遂げたいこと」は大きな意味を持たなければ、将来的に何か世間に変化をもたらさなければならないのだろうか。
教授にこの話をされるまで、私が周囲に話していた「成し遂げたいこと」は「学校でも家でもない、ある意味2.5次元的空間に多くの人の居場所を作る事」でした。
別のnoteにも書いているのですが、私は中学生の時半保健室登校状態で、一時は自殺も考えていました。きっかけはいじめでも、家庭的な問題でもなく、理想の自分になれなかったこと。
周囲から期待される自分と期待に応えられない自分。できない自分を、自分からも、周りからも隠したい。その気持ちが強くなりすぎて教室に入れなくなりました。
「心が弱い」の一言で片づけられてしまうような出来事ではありますが、当時の私の周りには同じような悩みを抱えている人が何人もいました。でも、誰一人、この悩みを口に出しませんでした。
なぜなら、自分の状態を説明する、相談するためには、自分がダメなことを自分がまず認めなければならないから。それが出来なくて「保健室登校」という行動に移しているのに、説明や相談なんてできるわけないんです。
だから、どんどん孤立していきます。友だちと長く会話することは無くなり、教室に入ると後ろ指刺されて「あいついつもずる休みしてるよな」といわれている錯覚を抱くようになりました。
そんな時に助けてくれたのがあるアーティストの「今辛いことも、いつか振り返ってそのことを笑って話せる日がきっとくるってことを知っていてほしい」という言葉でした。
その言葉に救われてファンになってから、そのアーティストの「メンバー、スタッフ、ファン、みんなで1つのチーム」という考え方を知りました。この「チーム」の存在が、当時の私にとってとても心強いものでした。
「教室に居場所がなくたって、私にはアーティストが好き、というだけでなくならない居場所がある。別にここで無理に出来る自分を演出する必要はない」と開き直るきっかけになったからです。
中学3年生の時には適度な開き直りを身に着け、無事保健室登校を脱却。この経験をもとに「学校や会社、家庭以外に居場所があれば、人はどこまでも強くなれる」と思うようになりました。
でも、多くの人が所属する「居場所」は実際に場所やコミュニティがあって、居場所がストレスに変わる可能性もあるわけです。もし、居場所すべてが同時にストレスの場所になってしまったら?
当時の私が感じていたように、居場所は居場所でなくなって、孤立する感覚を味わうと思います。だからこそ、実際に人間関係を構築しなくてよい「アーティストとファン」といった、ある意味3次元上でない関係性の中にある居場所がとても大切だと思うんです。
『そういう居場所を増やしたい。そういう居場所を広めたい。最終的には、自分自身と戦って孤立してしまっているような、辛い思いをしている人を救いたい。』
それが私が成し遂げたいこと、、、ですが、これって行動に移すのがとても難しくて。なぜなら、直接的に居場所を作ろうと現当事者に関わってしまうと、過去の私に引っ張られて、また学校に通えなくなってしまう可能性も0ではないからです。
だからこそ、今は、目の前のやりたいことに全力で取り組んでいるわけすが、きっとこのままじゃダメなんだろうなと思います。そもそも、学校でも家でもない、ある意味2.5次元的空間に多くの人の居場所を作る仕事ってなんだ???
私はその居場所をアーティストから得たので、芸能系の道に進もうと考えていますが、きっとこの「成し遂げたいこと」はとても特殊だし、利益などにこだわらない分、革新的なこと、つまり先鋭的なのだと思います。
ここまで長々書いてきましたが、結局私には自分が成し遂げたいことが何かわかりません。どうすれば、先鋭的でなくなるのかも、わかりません。ただただ、考え続けるだけです。
とりあえずは答えがでるまで、今自分にできる事に、やりたいこと全てに全力で取り組もうと思っています。悩んでいる間はしんどいけれど、何もしないのはもったいないし。出せた答えはきっと自分の強みになると信じて。
近い将来、成し遂げたいことが何なのか、やりたいこととの違いはなんなのか、わかったらまたnoteを書こうと思います。
意見等々ありましたら、コメントいただけると嬉しいです。
PS:夜も深いので、いつもだったら昼に公開しますが、約4000字書ききったことに満足したので公開してから眠ろうと思います。