AC療法-4週ぶり2回目
AC療法は、手術前に4クール。
そのうちの2回、つまりもう半分は終わったということになるんだな。
1回目と2回目のあいだに巻き起こったアレコレのせいで、あっという間の4週間だった。
2024年は最後の最後になっても想定外の波乱が続くなぁ。
仕事(派遣)も、まさかこのようなかたちで辞めることになろうとは…。
収入なくなるのは、生活への影響もだけど、
精神面へのインパクトもでかい。
悔しいし、不安でいっぱいだし、涙も出る。
でも、そうなってしまったからには、別の最良の道を探すしかないんだよな。
せめてカッコいい生き方をしてみたい。
それは、自分が納得できるのがどちらなのかを
いちいち確認していくことだったり、知らないことは勉強もしなきゃだし、お金があればお金で解決することでもお金がなければないなりに自分の脳みそで考えて自分で知恵を出して解決することだったり…
どうげんぼうずの言うロックンロールって、そういうことかもしれない。
そう言えば、自分は雑草魂っていう言い方を好んで使っている時期があったけど、それにも通じるとこがある。
60すぎてナニ言っちゃってんのって嗤われても平気。ってゆう境地に達してないんで人には言わないけど。
ここには、今のアタシの考えてることを書いておこうと思っている。
AC療法の話もツイデ感あるけど書いとこう。
左手の甲で点滴。周りの皮膚も触れると少し痛い。
ドキソルビシン(赤いマモノ)点滴中、点滴してる
経路(腕の皮膚)がかゆくなった。内科の主治医まで呼んだけど、結果継続した。今はかゆくないし痛くもないし赤くなってもない。
点滴終わったあと、ジーラスタのデバイスをお腹に装着。約24時間経ったら外す(前回同様)。
点滴後、会計処理の前に傷病手当金を申請するための書類入手の手続き。確認点が多く、明日以降再度トライしなきゃ。
前回も処方されたデカドロン錠というのが、まさに
副腎皮質ホルモン剤だったということが腹落ちした。デカドロン錠4mg と コートリル2mg がどう違うのかは分かりません(気にはなる)。
前回は点滴のちょうど1週間あとになってから、高熱、倦怠感、下痢、食欲不振、腰痛など最悪の総攻撃にヘロヘロになってたけど、今回はどうかな。
熱38℃超えたら飲めというレボフロキサシンは処方されている(通常通り)。飲まずに済みますように。
あとちょっと気になったのは、血液検査で
副腎皮質機能低下の指標にする項目
『TSH IFCC』
『FT4』
を、今回から血液検査の結果に出すようにオーダーしておきました、と主治医に言われたこと。
副作用で不治の病になる可能性を、もし本気で減らす気があるなら、なぜ最初からオーダーしておかないのかな??
そういうふうに「標準治療」マニュアルに書いてないから???
今度行ったら(来年だけど)訊いてみよう。
あと考えられるのはコスト面だけど
すでに罹患しちゃった患者の血液検査に気軽にオーダー追加できるくらいなら、罹患前の全対象者にオーダーすべきでは? もし未然に防ごうという気が少しでもあるなら、そうするほうが建設的じゃないかと思っちゃったんだよ。
話が前後しちゃうけど、腫瘍内科の主治医の診察前に、乳腺外科の先生ともお話できた。手術と検査のスケジュールを決めるつもりの面談だったが、副腎機能低下騒ぎのあとなので、今後の科学治療が予定通りか否かが腫瘍内科側で決まってからじゃないと決められない、と言われた。そりゃそうか。
あっそうなん、ではまた(1分で終了チーン)
とはならず、前回も話した手術の種類を全摘か部分切除にするかについて、時間とって話をきいてもらえた。
自分としては、病気のことで煩わされたくないというのが基本にある。たとえば、ウィッグは買ったけど、結局誰のために装着してんだっけという思いが拭いきれず、ふだんはほぼ使っていない。今は寒いから帽子はかぶる。ただこれも、室内に入ると(特に何かを食べるシーンは)防寒用の帽子だと暑いので、室内用のケア帽子もわざわざ別に持参したりしてる。しかしこれがまた、付け替えるのに食事のテーブルから化粧室まで行くのか?ここでいくね?とか小心者くさいモヤモヤに煩わされている。つまり、残念ながら今までのところ、スキンヘッドで社会生活を営む勇気がぜんぜん出せていなくてダサい。ただこれも、もうすぐできそうなので、少しずつでも思いを解放して、社会に一石を投じたい。社会には、こんな境遇の人も結構いて、とてもわかりづらくはあるけれど、目立たないように、バンクーバーなら一切やらなくても良いかもしれない努力を、ひっそりと、しかもお金をかけて、あるいは必死にやってたりするっていう現実があるのだから。
自分のできる範囲で抵抗の姿勢は示していきたい。むしろ、もうこの歳だし乳がんだし、残りの人生はそういうことをはっきり表明したり、体現したりして、命を燃やして生きていきたい。
西加奈子さんの著書『くもをさがす』で、カナダのバンクーバーにおける女スキンヘッドへの社会の目(対応)が描かれていたけれど、とても羨ましいと思った。だから自分も実践することで、何かを前に進めたいと思う。
全摘か部分切除かを考えるときに、スキンヘッドでどうしたかったのかも言語化しておきたかった。
話が脱線しているようにも感じるかもだけど
私にとっては根っこが同じということなんだ。
外科の主治医にどこまで伝わったか分からないけど、
私が何を選択するにしても、根拠、というのか、考えかたのバックボーンというようなものの片鱗は分かってもらえたかなと思う(上記と同じ話はできていないにしても)。こういう会話が主治医とできるというのは、恵まれているんだろうな。
内科主治医とのコントラストが良い作用をもたらしている、とも言えるが。
書いてるうちに頭の中の考えがまとまる感覚が得られるのっていいよね。まとまる、が言い過ぎだとしても、言語化するのっていいよね。
ここはリアル知り合いもいないし(ゼロではない)、
自由に書けて尊いわ。
病院から帰宅後、夕食前にちょっと寝ちゃったせいで夜眠れなくなってるのも尊い。