ぶっ倒れる寸前に書いたモノ

電車でお母さんに抱かれた幼児がこちらを見てすごくアンニュイな顔をした。この年で「アンニュイ」を使いこなすとかすげえな。25年生きて未だに表か裏しか使えないや。かくありたいと思えるアンニュイな顔だった。

毎日仕事にいく。月の中で決まった作業を決まったタイミングでやる。そこに新しい担当業務が舞い込む。前に会議で決まったタスクを組み込む。結果あっぷあっぷで、最近では飯を食べずにシャワーの後ベッドにバタンで眠れる。店長にそろそろ自分のキャパシティに限界があるとは伝えたが、店長はキャパシティの意味がわからなかった。だから新しい仕事をさらに投げてきた。

流石に腹たったので転職サイトに登録した。こう言う怒りのエネルギーはすごい。すぐに行動に移さないと気持ちがおさまらないのだ。怒りの形相でささっと願いを叶えてしまう馬頭観音に共感してしまう。そもそも職場の今の仕事量では大学院に行くこともできない、その先編集業に入ることも難しいだろう。そんな簡単なことを、怒りの中ですぐに気づいた。

なぜこんなにやりたいこととやらなければならないことは噛み合わないのかと不思議に思う。「やりたいことをやりなよ」と他人事の奴らは言う。でもそもそも立っている前提が違うのだ。自分の場合、「やりたいこと」が「やらせてもらえること」であることなどほぼ無かった。だからやらせてもらえるように、やらなければならないことをするわけだが、それが本来望んだ形を生むことはまた稀だ。

仲のいい散髪屋も似たようなことを言っていた。「やりたいこと」「出来ること」「したいけど出来ないこと」「やらなければいけないこと」それらをなんとかバランスを取りつつ、生きていく。まさにそうなんだろうと思う。世知辛いなんてもんじゃない。

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