なにもしてないのに人生壊れた

199●年 この世界に生を授かる
比較的高齢出産の父母と姉の3人家族のもとにやってきた。父は有限の会社勤務 母はニート 姉はごく一般人
正直に言うとあまり恵まれた家庭ではなかった
父と母は仲が悪く、父は酒癖が悪いので毎晩毎晩飲んでは母にぼうりょくをふるっていた。
それを見てずっと育ってきたので兄弟は仲が良かったと思う これも日常茶飯事なのでこれが始まっても微動だにせず普通に兄弟でゲームしたりドラマ観たりするくらいだった。
 
家が貧乏だからか保育園も幼稚園も入れてもらえなかった なので小学校に入るまでは家でひたすらオモチャ遊びをしていた もちろん友達なんてものはいない
 
みんな保育園や幼稚園に行くものなんだという事は小学校に入って初めて知った。 ただ小学校では割と人間と馴染めた ただぼくは気が弱いので基本的に虐められていた サッカークラブにも入れてもらったが1年で辞めた 理由は忘れた
 
中学に入ると今までより更に孤立化 学力も低く「小学校にサッカーやってたから」とかいう理由でサッカー部には入っていたがもちろん上手いわけではなく先輩から虐められていた。 2年生までそれは続き 後輩が入ってきても当たり前に後輩の方がサッカー上手いので後輩にも虐められていた 
3年生は少しクラスに馴染めたので、ある程度仲の良い友達も出来た サッカーは出来ないけれどすぐ引退だったのであまり辛いとは思わなかった
高校の進路はどうしよう となり、学力の低いぼくはその中でも「ものづくり」が好きだったので工業高校に進んだ。
特に感動も無い中学生活は幕を閉じた
 
工業高校に進学する。 もちろん女子はいない
最初は抵抗があったが1ヶ月もすれば慣れた 頭が悪いので高校でもサッカー部に入ったが秒で辞めた
帰宅部に所属して放課後は同じ部活メンバーとゲームする日々 帰ったら嫌いな母親がいるのでみんなで先生に怒られるまでゲームをする
2年生になると少し冷静になって生徒会に所属する 「学校を背負って機械加工の大会に出てみないか」と先生に言われ、そっちもやっていた
生徒会と大会を目指した青春物語が始まった
まあどっちもダメに終わったんですけれど
資格はたくさん取れたしジュニアマイスターという称号も取ったりした
3年生になってみんな部活引退になるとクラスにやけに馴染んでいたぼくはいろんな人と深い関わりを持ち始めた オタク、ウェイ、ヤンキー でもみんな良い人だった。
彼女も出来たりしたがメンヘラすぎて秒で別れた
ここで変わらねばならぬ、と必死にウェイ、ヤンキー連中とつるむようになりよくそういう事をしていた みんなでディズニーも行ったりした たぶんここが人生の一番輝いてた瞬間だ
 
なんだかんだで卒業。 生徒会、大会、ウェイ、ヤンキー、、、とても充実した高校生活だった。女子はいないけれど けっこう泣きそうだった
貧乏だったので少しでも家庭の支えになればと大学には行かず就職を選んだ
 
就職先は既に決まっていて 機械加工の腕前を上げるために小さい町工場で勤務する タバコ臭い脂臭い 怪我なんて日常、しかも低賃金 本当にキツい職場だった だけど仕事が終わると週末にゲーセンで集まるメンバーが出来た(同じ会社の人ではない) 
これだけを楽しみに毎週毎週毎週毎週頑張った 音ゲーめっちゃ上手くなった
みんな良い車を持っていたからぼくも背伸びして良い車を買った 今持ってる車がそれだ
仕事は大変だけど週末がある… でもぼくは気がついていなかった 「回復」より「消耗」の方が多かった事に
嫌な仕事して帰宅したら家族が喧嘩してる
嫌な仕事して帰宅したら家族が喧嘩してる
嫌な仕事して帰宅したら家族が喧嘩してる
嫌な仕事して帰宅したら家族が喧嘩してる
嫌な仕事してこれからゲーセンでみんなで遊ぶ
冷静にバランスがおかしかった
 
こんな生活を続けて3年ほどで心が異変を来たし始めた 何をしてもなにも感じないし好きな音楽を聞いても雑音にしか聞こえない 素敵な景色を見てもモノクロのように見える ただみんな楽しそうにしてるから空気を読んで自分も楽しそうにする
ふと「自分が愛想笑いしてるってバレてるんじゃないかな」とか「自分って実は避けられてるんじゃないかな」と考え始める 一度そう思ってしまうと小さな引っかかりがあるだけで「ほらやっぱりそうだ」となり『嫌われている自分』がどんどん現実味を増していく
嫌われているかもしれない 嫌われているかもしれない そんな事を考えながら友達と付き合える訳がなく 人間関係リセットをしてしまった LINEもTwitterもぜんぶ消した 少しだけ気が楽になった
ただ嫌な仕事も嫌な家庭も変わらない状態でそんな事をしてもう日常の癒しも無くなってただひたすらに無理になっていった
 
そんな中である日突然 ぼくの母が急逝した ガンだった 突然で驚いたが本当に終わっているぼくは自分の母が亡くなって「ああ、もうこれで両親の喧嘩が無くなるんだ」とホッとしてしまった 母がいなくなっても涙一つ流さなかった 忌引も貰えるしラッキーと思った ただ母も少なからず家事をしていたのでそれらは兄弟で分担してやらないといけなくなった
食器洗いと洗濯 掃除 両親が喧嘩しているのを見る日々と比べたら朝飯前だった
ただ問題は父の酒癖は改善されていない点で 母親がいなくなるとぼうりょくを振るう先がペットや自分に変わった 今までより圧倒的に苦痛な日々
嫌な仕事、嫌な家庭、嫌な父、もう無理だった
そして疲れ果てていたある日、交通事故を起こした 幸い相手に大きな怪我は無かったが人身事故なのでとても重い罪だ いろいろ書類を書いたし事情聴取もされたし免停にはならなかったけれど点数もかなり加算された 
 
あ、もう無理だ 人生に楽しみなんてない
  
そう思ってぼくはじさつを真剣に考えた
 
続きはいつか書きます

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