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Todoリストを(一部)やめる話

タスク管理にTodoリストを使う人は多いだろう。かくいう自分も『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』を読んで以降、GTDに則ってTodoリストを使っている一人だ。Todoistに課金しているし、習慣化にはHabitifyを使っている。

はじめに明言しておくと、Todoリストを「完全に」やめたわけではない。Todoistへの課金をやめるつもりもない。単純に、Todoリスト「だけ」では足りなくなっただけである。Habitifyは次の年次更新でやめると思うが、理由はきちんと述べる。

Todoの魔力と代償

GTDは素晴らしい。やるべきことをやれて、様々なことを制御できている感覚を得られる。混沌のなかに秩序をもたらすメソッドとしてはこれ以上ない切れ味を誇る。

GTDの思想をブーストするのがTodoistだ。というより、GTDを知らないとTodoistをフルに使いこなすことは難しい。自分がTodoistに課金する決心がついたのはGTDを知ってからなので、Todistを使っているけどGTDを知らない、という人はGTD本をぜひ読んでほしい。

とまぁ、GTD + Todoist というのは最高の組み合わせである。「やりとげた」感覚が最高に得られる。そこに代償があるんじゃないか、と気付いたのは最近のことだ。

Todoistには振り返り機能が弱い。自分は習慣化にHabitifyを併用しているけど、Habitifyもこの機能が弱い。「やった」ことだけは記憶に残って快感にはなるけれど、やりっぱなしになってしまうという問題がある。

もちろん、振り返る必要のないことは無理に振り返る必要はない。「シャンプーが切れかけているので買う」とか、「粗大ゴミを捨てる」みたいなことを振り返っても得られる洞察は少ない。

しかし世の中には振り返るべきことがそこそこある。特に習慣化すべきことには様々な記憶や感情が乗るわけで、デジタルなリストはこの部分を捨て去ってしまう。

もう一つの問題として、Todoリストは(基本的に)順番を規定しないという点がある。Todoistは優先度を4段階でつけられるが、タスクの順序という点についてシステムはわりと無頓着だったりする。なので、列挙することも大事だが手動で入れ替えるのはもっと大事だ。

順序の大事さ

まずは順序の大事さから話そう。不意に時間が空いてしまったとき、現代人はスマートフォンやら何やらの電子機器を触りがちだ。口寂しいヘビースモーカーがタバコに手を伸ばすように、我々の脳は常に刺激を求めている。

やらなければならないことがあるのにSNSや動画サイトに目が向かってしまった経験がある人も多いだろう。私もその一人だ。これは意志が弱いことが原因であるのだが、次にやるべきことが決まっていないことも一因だ。様々な書籍が伝えているように、決断には意志力を動員する。対して、SNSや動画サイトを見ることに意志力を動員する必要はない。勝手に刺激が流れ込んでくる。

『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣』では、「AAしたらBBする」という風にIf-Thenの繋がりで良い習慣を繋げていく方法が紹介されている。この考え方は習慣形成だけではなく、普段のタスク消化にも使えるんじゃないかと気付いたのは最近のことだ。

たとえば休日の過ごし方一つとっても、目的なくYouTubeやゲームに費やすのではなく「1時間空いたら棋譜並べをやる」「2時間空いたら映画を見る」「雨が降っている日の昼はお菓子を作る」のように、If-Thenの形式で行動を定義すると無駄に画面を眺める時間がかなり減る。

雨の日に焼いてみたパウンドケーキ

様々なやりたいことが靄のように浮かんでいると、人は決断から逃げてしまう。その場で決断をしないためには、事前に決断を済ませておくしかない。だから決められるタスクについては、Todoistで「手を付ける順序に並べ替える」ことがけっこう大事だ。

順序の問題はTodoistで攻略した。しかし、 If-Then という形式は Todoist とは若干食い違う。別の方法で管理する必要がある。自分の場合はこのリストをアナログなメモに移行した。

習慣は振り返るのが大事

Habitifyのような習慣トラッカーは便利なようで、振り返るための情報が落ちてしまう。たとえば「読書する」を目標にしたとして、『21世紀の資本』を10ページ読むのと『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣』を10ページ読むのでは前者にかかる労力のほうが圧倒的に大きい。しかし習慣トラッカーはトラッキングしやすさと引き換えにそういった細かいメタデータを溜めていく機能に乏しい。メモはできても見返すことはない。

結果として、数字は積み上がってもうまくいっている感覚が乏しくなる。あるいはチェックリストや習慣トラッカーをチェックすることが目的化してしまう。それを防ぐのが定性的な振り返りだが、これをうまくやれるアプリはない。というより、デジタルな振り返りは洞察が得にくい。というわけで、習慣トラッカーはアナログに変更し、アナログに振り返りを行うことにした。ここで役に立ったのがバレットジャーナルだ。手書きの効能についてはすでに書いた。

ライダー・キャロルの本でもバレットジャーナルを習慣トラッカーとして使う方法が書かれていたのでそのメソッドを使ってもいいし、既にある程度習慣トラッカー自体は運用できているなら使いやすいようにやれば良い。アナログな習慣トラッカーの良いところは、「感想」を書けることだ。

自分の場合、最近は将棋の勉強として浦野真彦八段の『3手詰ハンドブック』を1日最低50問、『将棋・ひと目の手筋』を1日最低20問やるようにしている。ノートには今日は何問目までやったか、明日はどこからやるかを書く。たったそれだけだが、何となく開いて何となくこなすよりははるかに意識的な練習になる。

紙は自由だ。たとえば病気で寝込んで詰将棋どころでなくなったとしても「寝込んでいたので今日はできず」と書く。それを問題と見なすかどうかは人次第だ。

そうやって自由に書き込んだアナログなノートは感覚的ではあるが脳に情報が定着しやすい気がするし、Habitifyの数字を積み上げるよりも真剣に習慣と向き合えている気がする。なのでHabitifyのサブスクリプションは切る予定だ。

Todoistは複雑な未来の予定に向いていない

もう一つアナログの良い点を挙げよう。これはTodoistの良いところでもあるし悪いところでもあるが、ある程度複雑な未来の予定に関してはアナログの方が向いている。たとえばタスク管理の本でよく「ハワイ旅行に行く」のように例示されるものが対象だ。

確かに旅行のような複雑なタスクはTodoistの階層化を使って計画できるのだけど、プロジェクト1つを占有するほどでもないタスクは見た目がごちゃっとしてしまい、気が散りやすい。Todoistの良いところである一覧性は、タスクに集中したい時には逆にアダとなる。だったらバレットジャーナルのFuture Log に置いて、計画する時は別にCollectionを切るほうが良さそうだ。そのほうがじっくり取り組めるだろう。

要するに何が言いたいかというと、意識を向けるべき事柄は敢えてアナログ管理をすることで、物理的に意識が向かう時間を長くしたほうが良いということだ。ソフトウェア開発の文脈で言うならば、レトロスペクティブやインセプションデッキをアナログでやるのに似ているかもしれない。

システム2と向き合うために

前回も書いたが、デジタルデバイスはシステム2と向き合うのに不便なことも多い。我々の脳はとにかく楽をしたがるので、ついつい楽なシステム1を使いたくなってしまう。

システム2を使うためのキーワードは「遅さ」なのではないか。手書きもオフラインも、デジタルに比べればはるかに遅いし、閲覧性に劣る。しかしシステム2は早く動くのが苦手だし、一度に処理できる情報も少ない。ゆえに、我々はシステム2の処理速度に合わせて環境を提供する必要がある。

現代人にはこの遅さは正直もどかしい。新幹線があるのに、わざわざ在来線や路線バスを乗り継ぐようなものだ。しかし、人間という生き物は自分の能力を過信しがちなものである。過信していなければ夏休みの最後に宿題をまとめてやろうとか、試験の前に一夜漬けで何とかしようという発想には至らないはずだ。

では、人類は為す術もなく本能に屈するしかないのだろうか。それは違う。我々には工夫という武器がある。工夫について何か言って締めようと思ったが、RHYMESTERのK.U.F.U.に言いたいことは全て詰め込まれていた。ぜひ聴いて欲しい。

持ってるヤツに持ってないヤツがたまには勝つ唯一の秘訣、それが工夫だ。


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