2022年6月の読書
6月は7冊読んだ。
新書で入門 ジャズの歴史
いろいろあってジャズを履修する必要が出てきたので歴史を見てみた。
ジャズというジャンル、特に商業印刷には詳しい人が自意識をこねくり回して書いた気取った文章が多いなか、本書は平易な言葉で歴史を語る。ジャズというのは相反する要素のせめぎあいから生まれるものである、というところからコルトレーンの死までを語るところは面白い。
逆にそれ以降についてはどうも「ポストモダン論」に縛られた感じがしていてマイナスの印象だが、その辺りはむしろnoteに良い書き手が多いので補えそうだ。
実際、読了後にジャズ演奏者の友人にオススメを聞いたところ柳樂光隆さんのこの記事が送られてきた。感謝…… 🙏
絶望を希望に変える経済学
経済成長から取り残される人々、拡大する不平等、政府に対する不信、分裂する社会と政治といった現在富裕国が直面している課題は、途上国で研究対象となっている問題と驚くほど似ているという。
その一方で、賢明であるべきリベラルなエリート層が、政治的右派の台頭をこの世の終わりだと決めつけている。これは日本で起こっていることでもあるが、アメリカ、フランス、そしてインドでも起こっている、いわば世界的な事象だ。そんな状況に対して、経済学がどのような理解をしているのかを平易に説く。
原題は Good Economics For Hard Times。世界中で似たような問題が課題になっているのだから、これは共時的な問題であり、すなわち時代=Timesの問題である。それに対して Good な経済学とは何だろうか、というところに自負を感じる。
Goodたろうとするために、Badな経済学への反駁が目立つ。経済学では「良い」とされる移民や自由貿易になぜ庶民が反対するのか。本書は決して「庶民の頭が悪いから」とは言わない。むしろ、そういった態度は社会を分断するだけだと言い切るところが良い。
2章、3章では標準的な経済学が想定しているモデルをけっこう強めに糾弾している。経済学はリソースの移動に関してかなり楽観的だが、現実の人間はなかなか移動しないのだ。たとえば田舎の炭鉱労働者は、勤め先が閉山になったからといってすぐに都市部に移動して建設業に就くわけではない。しかし経済学は人間の移動に対して暢気すぎる想定をしている。151Pの指摘は非常に鋭い。
4章は選好にまつわる従来の経済学の想定を批判する。主流派経済学は選り好みをする人は市場で生き残れない想定をするが、実際にそんなことは一切ない。選好は首尾一貫していると主流派経済学は考えがちであるが、群集心理は容易に選好に影響する。
そう、好みは付き合う人によって簡単に変わる。ゆえに社会集団間の接触を増やし、共通の目的を持つようにすることが大事だと説く。これは左右ともに耳が痛い話だ。
この辺りから本書の核となる「尊厳」というキーワードが熱を帯びてくる。差別的な感情は、この世界で自分は尊重されていないのではないかという疑いに根ざしていると言う。エビデンスに怪しいところがあるが、納得はできる。
5章の成長の終焉、6章の環境問題にまつわるトピックは現在進行形で研究も定まっていないため歯切れが悪いのだが、レーガン=サッチャーに端を発する新保守主義に対してはかなり厳しい見方だ。人々の「見捨てられた」という感覚に着目せよという主張がかなり強まってくる。
たとえば黄色いベスト運動を牽引したのは「炭素税などは富裕層が貧困層に負担を押し付けている」という解釈だった。こういった見方が間違っており、信じている人間を批判しても考えは変わらない。正しい知識は人の意見変容を導かないのだ(これはエビデンスが存在する)
このような状況にどう対処すれば良いのか、という話が7章以降から展開される。
現代社会における不平等の拡大は、一つの原因に帰せられるほど単純ではない。しかし最高税率の引き下げ幅と所得格差の拡大の間には強い相関があるのは事実で、富裕層のレントシーキングと租税競争が不平等を拡大していることは確実に言えるだろう。
という指摘はかなりの危機感を持って発せられている。
では政府には何ができるだろうか。問題は、政府の信用がないことである。それには過去の蓄積もあるが、蓄積には政府の行い以外のものも含まれる。
我が国でも森友・加計学園や桜を見る会にまつわる反応でたいへんデジャブである。政府が市場原理に立ち向かう以上、そこに腐敗は必ず生まれという指摘は納得なのだが、腐敗とメディアの緊張関係にはあまり触れていないので片手落ち感は正直ある。
9章は実際に尊厳を重視した貧困支援が奏功している話と、ベーシックインカムにまつわるあれこれの話になる。アメリカの場合、誰にでも成功するチャンスがあるという信念があるので、給付を受けることを「失敗者の烙印」だと考える意識があるというのだが、日本でも似たような構図は存在する。リベラルがしばしば「日本だけがダメ」と言いたがる状況は実際アメリカやインドでも起こっているのだ。
全体として保守よりもリベラルに向けて書かれているように感じた。リベラル層へのメッセージは「事実を言うことをやめてはいけないが、相手の間違いを批判しても態度は変容しない。尊厳を重視せよ」ということに尽きるのではないだろうか。多くの有権者は政治に白けている。それゆえに、現代の民主主義は部族投票のような様相を呈している。この状況に耐えきれず、ポピュリスト政治家とそれに追随する人々を貶したい気持ちはあるだろう。
そこをぐっと我慢して、互いをより良く理解するために対話を諦めてはならない。その困難な道に経済学からの知見を紹介するのは良いのだけど、本書は政治学の本ではない。実際に社会実装しようとなるともう一度公共を問い直すことになるわけで、社会に対する市民の信頼はこのまま消えてしまいそうだな、と感じた。
つながるための言葉~「伝わらない」は当たり前~
「つながりたい」と真剣に思うかどうかで本書の評価は大きく変わると思う。96Pに「真に愛のない人は、他者とわかり合いたいなどとは思わないものです」とある。自分のことを伝えたい、わかって欲しい、という思いはとうの昔に諦めてしまっているから、それ以降は流し読みになってしまった。
根本的に合わないけど、言いたいことはわかるよ、という気持ちになったのでそのうち読み返すこともあるかと思うが、今の自分は著者の想定するステージにないな、という感じ。
銀河の片隅で科学夜話 物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異
良い意味で科学者らしくない科学エッセイ集。一番面白かったのはPageRankの話から始まり、世論力学の話に繋がる「世評」の科学。17%の固定票があれば浮動票が食い尽くされる、という数学モデルは衝撃であり、佐伯胖『「きめ方」の論理』を読んだときのような知的興奮を覚えた。
SF小説が好きならば「太陽は実は連星だったのではないか」という話に面白さを感じるだろうし、倫理学が好きならばトロッコ問題の話に面白さを感じるだろう。科学という営みがどう社会と関わり、世界を明らかにしていくのかという部分をよく描き出しており、理系を志す中高生にも勧めたい一冊だ。
競走馬の科学―速い馬とはこういう馬だ
競馬はやらないのだが、動物は好きだ。競走馬の研究というのはどんなものなのだろうと思って読んでみたが、なかなか定量的な評価がなされていて面白い。
競走馬とて哺乳類である。有酸素運動と無酸素運動の違いや、筋トレで筋肉が発達する部分は我々人間と同じである。妙に親近感が湧く。
そして、これだけ研究していても「速い馬」はレースになるまで分からないのである。だから競馬は面白いとみるかは人それぞれだが、知らない世界を覗き見するという点では面白かった。
マンガの方法論(5) マンガ原作発見伝 その知られざる現場のすべて
マンガ原作者になりたい人が読む本というよりは、マンガ原作者の生態が知りたい人向けの本。『ラーメン発見伝』の読者必読の一冊であろう。芹沢(ラーメンハゲ)がなぜ人の心を魅了するのか、なぜ序盤の藤本にはあまり好感が持てないのか。岩見氏は言う。「芹沢に自分を乗せた」と。藤本をはじめとするメインキャラクターには魂が篭もっていなかったが、芹沢には籠もっていた。だから魅力的なのだと原作者に言われてしまうと「確かに…」となってしまう。
かといって、魂が入っていれば面白いわけではない。魂が入りすぎた反サッカーマンガは主張が強すぎて、サッカーが好きではない自分でもキツく読めなかった。これが創作の難しいところだと思う。つかず離れず、思想を入れつつ客観を失わず。この絶妙な塩梅にこそ面白さは宿るのだ。
会って、話すこと。――自分のことはしゃべらない。相手のことも聞き出さない。人生が変わるシンプルな会話術
「これこれ、こういうのだよ」と思うかそうでないか。会話の苦手具合で変わる一冊。自分は前者だ。話し方と言われると、相手に興味を持ちましょうとか言われがちだが、正直なことを言うと親しくなりたい人間を除けば相手に興味なんてない。一切ない。じゃあどうすりゃええねん。やはり自分は社会不適合者なんじゃ…と思っていたが本書は優しく諭してくれる。
「自分の体調を喋ってるおばちゃんを見てみろ、自分の話ばっかりで相手の話聞いてないぞ」と。人間は他人の話なんて聞きたくないのだ。傾聴の大事さが説かれるというのは要するに、みんな傾聴してないし、したくもないということなのだ。だから興味のあるふりなんてしなくて良いと言われると、なんか安心してしまう。
それよりも大事なのはボケを重ねていくこと、知識を挟み、ボケ倒していくことで新しい視点を発見すること。会話というのはこの共同作業なんだという指摘は類書では見られない。確かに「楽しかった会話」というのは互いの知識を持ち寄ってボケ倒し、バカみたいな発想が生まれるときだ。
普通に話せる人はそんなの当たり前だから、たぶん本書は情報量のない駄本に見える。しかし普通に話せない人にとっては安心感が得られる一冊となる。
望まない孤独
コロナ禍のなか、孤独担当大臣が生まれたことでにわかに注目を浴びた対孤独政策。その裏側で孤独問題に立ち向かったNPO代表による一冊。
この手のNPOにありがちなイデオロギーバイアスにかなり気を遣っているのが好感を持てる。とにかくファクトで語り、政治に働きかけていこうという姿勢は民主主義斯くあるべきという感じだ。
たとえば「自殺対策は政策の効果検証ができるようには設計されていない」という指摘は尤もだが、別にこれは自殺対策に限った話ではなく、日本の政策全般的に言えることである。「自殺対策もか」という感じ。
自殺統計原票から「女性の自殺は構造上の問題に求めるべきではない」としている点も勇気を感じる。イデオロギー的にも、心情的にも、そして政治運動として展開していく上でも、統計を曲解してでも人々に訴えられるようなストーリーを組むことは有利である。しかしそれをやってしまうと効果検証のできない政策になってしまう。ここに気概を感じた。
こういう気概を持てるのは、大空氏が極限状態を味わっているからだろう。
過酷な育ちを経て、生きるために「親ガチャ」という概念に縋って一度自分の責任を放棄するという発想はアダルトチルドレンのカウンセリングでも見られるもので、ここを超えられた人間には独特の空気が漂う。断定的に語れるのは、評者自身の体験談だからだ。
だからこそ鈴木貴子議員をはじめとした国会議員が味方してくれたのだろうと感じた。