見出し画像

2022年8月の読書

積み本がとにかくヤバいので、特に技術書ではきちんと読破することを諦めて頭の中にインデックスを作る方向にいくことにした。月の途中から始めたので効果が出るのは次の月からになるだろう。

8月は6冊。仕事に関係する本が多かった。ちなみにサムネイルにはMidjourneyを利用してみたが、こういう「ぱっと見でちょっとした良い感じの画像が欲しい」時はかなり使える。

一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート

世代ではないので溝口和洋のことは知らなかったのだが、室伏広治のトレーニングを指導した人と聞けば俄然興味が湧く。本書は別分野ではあるが大崎善生の『聖の青春』と同じような、一人称での記録文学である。

一人称をとることで浮き上がってくるのは溝口の狂気である。トレーニングの知識があれば、こなしているトレーニングの量が異常であることが分かる。たとえばベンチプレスは1日に最大100トンを上げたという。詳細は読んで確かめてほしいが、100kgを10回100セットとか、そういうレベルだ。本人は「自分には才能がない」と思っていたようだが、限界以上に追い込むトレーニングを長期間続けて潰れない身体の強さというのは努力で手に入らない、まさに才能であることは言うまでもない。普通の人が同じ領域を目指そうとしても、まず確実にオーバーワークで身体を壊す。

解題で明かされるが、溝口本人はいわゆる「天才語」を話す人だという。それを丁寧に解きほぐし、一人称で語るまでに溝口和洋を理解した著者の仕事は素晴らしい。

プロを目指す人のためのRuby入門[改訂2版] 言語仕様からテスト駆動開発・デバッグ技法まで

noteではRuby on Railsを利用している。にもかかわらず、Railsをよく触る担当ではないことから逃げていた。とはいえそろそろ逃げてばかりいるわけにもいかないので本書を手に取った。

他言語でじゅうぶんに経験を積んでいる人であればすんなり読めるだろう。「プロを目指す」と銘打っているだけあって、7章以降の内容は濃い。そのため頭の中にインデックスを作って必要なときに参照する程度で良さそうだが、業務で使いそうな機能は一通り網羅している感じがある。Rspecへの言及はほぼないが、「プロなら大丈夫でしょ」という信頼を著者からは感じる。

一冊やりきっても、やはりRubyはそんなに好きにはなれなかった。型をコードに書かなくて良いのはあまり性に合わない。(データ周りでのPythonコードはかなり几帳面に型アノテーションを書いている)

型のある世界ではソースコードリーディングが楽なのだ。型の名前から生えているメソッドが想像しやすいし、IDEの補完も利きやすい。「メソッドが何を返せば良いか」が分かる安心感は素晴らしい。とはいえ明日からC++かRubyのどちらかを書けと言われたらRubyを選ぶと思う。自分の足を撃ち抜きたくはない。

ActiveRecordは偉大ORMではあるし、RSpecが果たした役割も大きいとは思うのだが、ことコードを読む比率が増えるチーム開発において、型のないコードを読み解いていくのは勘がないと厳しい。巨大なJavaコードにはそれはそれで苦しみがあるのだが、巨大なRailsコードには別種の苦しみがある。慣れていくしかないのだろう。

言うまでもないが、言語選択はビジネス選択に従属するものだ。ビジネス上の要請に沿っていれば書ける言語なら何でも書くのが職業エンジニアである。正直Goだって好きではないが、一部のシステムではメインに据えることを選択した。実行環境やライブラリのエコシステムを考えれば、自分で下す技術選定すら好き嫌いは無視すべきものだし、そう心がけている。

色々とRubyに対する言いたいことが出てしまったが、Rails経験がないままnoteに来るサーバサイドエンジニアはまずこれを読みましょう。良い本です。

検索システム 実務者のための開発改善ガイドブック

2022年現在、日本語で読める検索システムの本としては最も良いと言っても過言ではないかもしれない。『情報検索の基礎』『情報検索 :検索エンジンの実装と評価』といった学術寄り本よりも実務に特化した内容である一方でバックエンドの検索エンジンに関係なく使える考え方が網羅的に記載されている。

実務における検索は独学では難しい部分が多いが、本書を読めば独学の場合苦労して数年かけて得る知見をすぐに得られる。今後の検索業界にとって知の高速道路となる一冊と言えるだろう。

特筆すべきは9章以降の内容で、近年の研究を踏まえつつビジネスに織り込んでいくにはどうすれば良いかという点が踏み込んで書かれている。noteの検索システムにも応用していきたいな…と素直に思った。

難点と言うほどでもないのだが、汎用的な書き方になっているぶん、厳密には検索システム全体というよりは検索技術に寄った解説となっている。そのぶんデータ収集などについては記述が少ないが、その辺りは『データ指向アプリケーションデザイン』などで補えば良いだろう。こちらにも若干だが検索インデックスに対するデータシステムのアプローチについての記載がある。

リーン・スタートアップ ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす

この手の本で毎回思うのだが、アメリカ人はアントプレナーの例としてヘンリー・フォードを出すのが大好きだ。それだけT型フォードがアメリカに与えた影響が大きいのだろう。

教養として一応目を通しておくか、くらいのノリで読んだが、本書に影響を受けた人が様々なところで言っている知識が体系的に理解できた。知識のために読む本ってあんまり感想がないな。

アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治

300ページに満たないボリュームながら、濃密で読み応えのある新書だった。本書が前提とする議論は2つある。1つは人間のアイデンティティは不安定で、場当たり的であるということ。もう1つは何をアイデンティティとして選ぶかどうかは集団どうしの闘争の側面を持つということである。

第一章では現代の西側社会で基調となったリベラルデモクラシーが何故生まれたかと、それがどのように退却していったかを描いている。ざっくり要約すると、戦前の経済的リベラリズムと、それが招いた大恐慌への反省が根底に存在する。大恐慌がもたらしたのは、資本主義が社会を豊かにするという約束の不履行であった。社会に対する信頼の間隙を埋めたのが社会主義とファシズムで、対抗するために戦後の西側社会は仕方なく保守主義とリベラリズムが互いの主義を薄めることで手を組んだ。51Pの表現がよくまとまっている。

リベラリズムと民主主義の共存は、リベラリズムの経済的側面の抑制と民主主義の革命志向を抑制することで成し遂げられた。具体的には、基幹産業の国有化や福祉国家の確立を通じて不平等を容認する資本主義をリベラリズムから切り離し、他方では法の支配や立憲主義を徹底することで、ファシズムや社会主義に代表されるデモクラシーを抑制しようとしたのである。それは二〇世紀まで資本主義によって経済を牽引してきたリベラリズムを政治的次元に囲い込み、人民主権を掲げて政治を牽引してきた社会主義を経済的次元に囲い込むという逆転の発想でもあった。(p51)

しかし、70年代以降は先進国の成長に陰りが見え始める。そこで新たな成長のエンジンとして持て囃されたのが経済的リベラリズム≒新自由主義であった。

第二章では現代における権威主義政治の発生源を辿っている。現代における政治の対立軸は保守-革新ではなく、権威主義-リベラルになりつつあるからだ。保革の対立軸を無力化したのは、皮肉にも経済発展がもたらした再配分で、それゆえに階級政治が無用になった。人々のアイデンティティは階級ではなく、個人と共同体のどちらに従うかという方向に引き寄せられ、結果として共同体の側が権威主義を引き寄せている。もう一つの波は左派による経済的リベラリズム囲い込みの放棄で、アメリカではクリントン政権による労働者の見捨てられ感がトランプ政権の伏線になっている。

第三章では迂遠に見えるが歴史を扱っている。しかし、歴史こそアイデンティティを語る上で格好の題材である。ベネディクト・アンダーソンとエルネスト・ルナンの言を足し合わせ「国民国家は記憶の共同体である」と表現しているのが面白い。事実は客観的だが、解釈は主観的である。それゆえに、伝統は経済的、文化的要請から作られる。日本であれば多くの「伝統」が明治時代に天皇を中心とした国民統合を行うために作られた。このような例は世界各地にあるのだ。

第四章では宗教とテロリズムを扱う。過激思想がイスラームの形を取っているだけで、イスラームが過激なのではない、という指摘は尤もである。過激思想に染まる人々は、社会に居場所がない。リベラルな社会が「何を信じても良い」とする以上、逆説的に宗教が力を持ってしまっているというのは皮肉である。ミシェル・ウルベックの『服従』を引き合いに「自由の拡大=幸せという賭けの失敗」をかなり強く描いているが、次の章でこれまでの主張が繋がり一気に盛り上がってくる。

第五章はアイデンティティ政治の起点とその隘路として、ウォーラーステインのいう1968年の世界革命を扱う。1968年は世界的に「量の拡大」から「個の充足」へ軸足が移ったのが1968年であり、日本においても丸山眞男より吉本隆明が需要された時代でもあった。他にも日本では成田闘争をはじめとする新左翼運動の華やかな年であり、尊属殺重罰規定違憲判決の元となる事件の起こった年でもある。

個の充足を求め、「個人的なことは政治的なこと」という態度を進めていった結果、社会は集団を形成しにくくなっている。問題の解決には徒党を組んでいく必要があるが、個の充足を何より重視する価値観のもとではそれができない皮肉をヒースなどの最近の著作も交えつつ描いている。

古典から最近の本まで、幅広い分野の人文学を縦横無尽に援用しながら複雑な問題を多角的に描く労作である。それでいて専門的な部分を極力少なめにしており、2020年代を見通す新書として高く評価したい。

気になる点といえば、本書の内容よりもこういった筆致を「反リベラルの立場に立つものではない」と言い訳しなければならない時代だろうか。多くの知識人や評者がリベラルの自浄を期待してリベラル批判を行っている。しかし本書でも言及されているが、アイデンティティを共有した集団は極化しやすい。アメリカの政治の文脈で言えば部族化した現代の政治において、こういった批判は届きにくい。それどころか、日本においては批判という言葉が断罪≒議論の拒否というイメージになって久しい。

諦めずにもう一度階級を取り戻し、大文字の政治をやっていくしかないだろうという主張はそうだと思うのだが、解いてしまった問題の複雑さに対してあまりに無力に見えてしまう。

SCRUM BOOT CAMP THE BOOK【増補改訂版】

やはりスクラムは難しいと思った。(小学生並の感想)

スクラムが難しいというよりは、ソフトウェア開発が難しいのだろう。形がなく、ぼんやりとした要求があるなかで、ある程度の方向性をつけて作っていけば良いのは分かる。分かるのだけど、実際は問題が抽象的すぎて形を作るのも難しいことがままある。マルチタスクなチームにいた経験が長く、チームが特定のタスクにかかりきりになるという経験があまりないというのもあるかもしれない。

今すぐ使えるものではなかったなと思い、ざっとインデックスを作って終わった。仕事の知識のために読む本ってあんまり感想がないな。(二回目)


いいなと思ったら応援しよう!