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水切りカゴを手放した話

水切りカゴって??

水切りカゴ

↑ こういうキッチン道具です。

ずっと今まで使ってたんだけど。

とあることがキッカケで

「いる???」

って思いはじめ。

今までごく当たり前に「必要なもの」ってなーんも違和感なかったものなのに。

一度違和感を感じ始めると、なんかいろんな見えてなかったものが見えてくるんですよね。

スペース占領してジャマくさいな・・・

水受けトレイに水垢たまってきたねぇ・・・

これがあるとお皿しまわない・・・

(ほしっぱになる。)

メインは食洗器だからタオルとかでよくない?

とかね。

違和感を感じてないとき、つまりそこにあることが自分の中で当たり前のときは、こんなん思わないわけよ。

だから違和感を感じ始めたときって、それが自分に合わなくなってきたときだと思う。

違和感=「自分に合わなくなった」シグナル

違和感はその人の本能みたいなもんなんだろね。

人間関係やお仕事とかでもそうじゃないかな。

「あれ?」って思い始めたら、どちらかというとそれに関する「マイナスな面」が次々と浮彫になってくる。

違和感を感じ始めてから「プラスのこと」が思い浮かぶことって、滅多にないのでは・・・

だから、違和感の正体は、「それもう自分に合わなくなってるよー」という自分自身の内からのメッセージなんだと思う。

と、いうことで、長年使っていた水切りカゴ

処分しましたーーーーーー♪

キッチンのスペースがひろがり、スッキリ♪

違和感を大切にする

水切りカゴの存在に違和感を覚えたキッカケは

クッキング動画を撮影しようと思いついたことでした。

なんかここでも思ったんだけど。

違和感が発生したときって、もうその対象を手放す準備ができてるんだろうな、って。

そしてそれを手放してから自分がやりたいこともはっきりしてる。

違和感は自分がより進化していくためにとても大切にしなくちゃいけないものなんだなーって。

自分の中の違和感を拾う

今回は水切りカゴに気付かされたんだけど、日常の自分の基準となる価値基準にも、この「違和感」という気づきはちりばめられてて。

それ、本当にあなたに必要?ってやつ。

当たり前に「必要」と思っていたことが実は自分にはいらないこと。

親として~、とか社会人として~、などの社会的役割から

「こうすべき」という一般常識

家庭環境や学校で教育で培ったものもあるだろうし、まーいろいろ。

その本当は自分に合わないものを基準にして選んだものは、結果的に「違和感」を感じるものになる気がする。

今まで疑いもしなかったことに「違和感」を感じたときは、遠慮なくそれを手放すタイミング。

違和感=「自分にはあわないこと」シグナル


自分の違和感に気付けるのは自分だけ。

自分の感じた違和感、ちゃんと拾っていきたいね!

気づいて手放した先にできたスペース。

ここにはより今の自分に合うものが入ってくるのだろうなぁ^^

でも、ここであとひとつ思ったこと。

この違和感、おそらく”やりきらないと”出てこない。

今回でいうと「水切りカゴと共に生活する」という体験を。

この体験をバケツにイメージするならば、体験のバケツがいっぱいになって溢れたときに、「違和感」として感じるんだろうなと。


まとめ

違和感=自分にはもう合わないよ!のシグナル

違和感を感じた時には、実はすでに次の「こうしたい」が用意されている

以上、なんの話やねん、という気づきでした。


読んでいただき、ありがとうございました❤


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