恋愛戦国時代を終えてみておもうこと

わたしは20代ずっと男が必要だった。
働いているころ男しか心を潤してくれないと思っていた。連日の残業と残業さえも毎日のことで夜10時を超えることも度々で人間としての感覚が麻痺してきて働くマシーンのようになると、自分を保つためにどうしても癒しが必要だった。

ノルマがあり周りの人も敵に見えてきて、1年目はまだなんとか普通の自分を保っていたが、だんだんと穏やかで優しい自分は消えていった。耳鳴り、胃腸障害、目眩と不調が襲う毎日に、鞭打って、おしゃれして、ヒールを鳴らして、髪を巻いて、できる人を演じたくて必死に満員電車で会社にむかっていた。
そのころから自分の健康のために男は切らさないようにしていた。彼氏がいないときは、デートを切らさないように、仕事と同じように新旧含めて常にリスト化されていた。地元の本当の女友達以外の女友達と会うくらいなら男とデートしたほうが何百倍も疲れとれるなって思っていた。
実際口の周りのニキビも社会人になって増えていたがデートのサイクルがうまくいっているときは綺麗で、もう男イコールわたしの美容液っていう気持ちだった。もっと使える、もっとできる男がいる!ってそんなことばかり思っていた。だから付き合っていてもデートしていても こりゃだめだなって自分の理想に当てはまらないことがわかってきたら切り捨ててきた。
かっこよくて、優しいだけじゃなくて、仕事もできる、思いやりもある、面白くても自分のことだけ話さない、金銭感覚も真面目で、(自分のことは棚にあげて)女のことばっかり考えてないひと!でも結婚も真剣に考えてる人!って注文はどんどん増えていき、わたしは疲弊した。だっていないんだよ。かっこいい人は不真面目なことが多く、優しくても仕事ができなかったり、面白い人はこっちの話をろくに聞かず、女のことばっかりは考えてなかったらナルシストで、、、。どこにいるの私の理想の人はってもがきまくり。
もしわたしがよっしゃ私ががっつり稼ぐわ!って玉だったらそんな男でもデートだけして自分の英気養って働いてたらいいだろうけど、働いてみて自分はそんなに仕事でガツガツ頑張ることに喜びを感じれなかった。
頑張って表彰されても私の心は伽藍堂。静かに静まっていて興奮がないことに自分で驚くばかり。
私は20代後半恋愛戦国時代に疲れはてて、子供を産んでゆっくりと緑の見える部屋でお茶飲みたい。が望みになった。
ずっと見た目を整えることが楽しかった。お洒落をして可愛い女子でいたほうがデートのノリもいいし、綺麗な女子を目指したほうが男女共から好感が上がり仕事が取れるし、いいことだらけって思って投資を惜しまなかった。
3ヶ月に一回はカラーとデジパで髪を巻いて2万ほどつぎ込み、スーツも季節ごとに色を数着揃えて、ヒール靴、メイク道具、ネイル、バッグと欲しいものを揃えて女として常に戦闘態勢だった。
何を買っても、恋を繰り返しても、わたしの心は空っぽになっていった。寂しかった。
全部してみたらわかった。わたし穏やかな生活がしたいって。味噌汁をきちんとだしからとって身体を労った食事をしたい、深夜に詰め込むように食事をして寝て朝胃もたれが苦しい生活ではなくて、規則正しい食事をしたいって。

お洒落なものが買えるよなセレブ婚じゃなくていい、ジーパン履いてるだけでいい、ただ穏やかに笑いたい。戦うのをやめたい。

そう目的がはっきり決まったらその時友達だった1番真面目で自分には物足りないなさすぎだろう(すまん)と上から目線でみていた人と結婚することになった。

結果、よかった。
真面目すぎてずっこけそうになることも多々あるけど、毎日相手を信頼できる日々。

刺激は20代に味わってよかった。
男も女も経験積んだらズルくなるオア臆病になる確率あがるから恋も巻きのまきのまきで色々しといてよかった。飛び込んで正解。
間違いすらもすべて勉強。いざ最期の1人選ぶときに間違えない。間違えただけ自分の欲しいものがくっきりする。

涙も沢山ながしたなぁ。
でも寂しさを知れる一人暮らしはしといてよかった。
あと、私自分で切り捨てといて未練たらしかったんだけど、それも最近抜けたのよ、それの昇華の方法もこんどかくわぁ。

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