ドラゴンラージャ再読

ドラゴンラージャ電子版復活。
その情報が目に飛び込んできたのは、職場のデスクでもそもそと昼食を頬張っていたときだった。中学のときに読んだ面白さが頭の隅に残り続け、さりとて知らぬ間に蔵書が増え部屋のスペースと家計を圧迫する中単行本12巻分を大人買いする踏ん切りもつかず、Amazonのカートに全巻セットを入れたまま本棚のスペースをどう確保しようか1年ほど悩んでいた私は、全巻即買いした。この思わぬ出費の穴は、今月末の年末調整が埋めてくれるだろう。多分。

さて、読み始めたのだが、思ったより内容がうろ覚えであったことに気づいた。冒頭こんなシーンだったっけ。とても新鮮な気持ちで読み始められた。そしてやはり世界観がシビアかつ作り込まれている。転生モノとは違ってその世界独自の単位や言葉がほぼ説明なしに出てくるので、読み進めるうちにその世界に馴染んでいく感覚が楽しい。そして、登場人物の言葉の端々から暮らしや文化を感じられるところが好きだ。例えば蛇口はどうやら一般的でなさそうとか、方言がない(これは衝撃だった)とか。巻末の武器や魔法の紹介もわくわくして、やっぱり好きだと思った。
フチが初めて街に入る場面では、都会のあれこれにはしゃぐ気持ちと、謎の一抹の反抗心のようなものが感じられ、共感を覚えた。
今回、電子書籍ということで、好きなところに気軽にマーカーを引きながら読んだところ、自分は思っていた以上にネリアが好きなことに気づいた。ネリアが可愛すぎる。ドラゴンロードと彼女が対話したときの彼女の返答は格好良かったし、レニが故郷を離れるときの彼女は温かかった。ネリアのよく笑い、よく泣くところが大好きだ。
また、サンソンがしっかりと兵士だった。ものごとの大局を見るというか、ヘルタント領や国を守るためなら自他共に個人的な事情や感情を抑えられる人だと思った。
読み進めていて、子どもの頃は恐らくふわっと読んでいた、フチの語りの合間に挟まれるアップシリンガーの著作の引用が胸に迫ってきた。フチはこの物語の語り手として、「今」を生きている。ところが、455年先の本の一部を所々に挟むことで、フチの物語が「昔々」の話でもあること、400年も生きられないであろうフチの「終わり」を意識して読むこととなる。

読了。読了直後は上手く言葉が出てこないのだけど、なんというか、凄絶だった。中学の頃の私は、こんな本を読んでいたのか。そして、あらすじと結末、いくつかの断片以外をすっかり忘れていたのか。日々仕事や家事に忙殺され、人間として生きることや相手と分かりあうことについてじっくり考えることがいつの間にか殆どなくなっていた。大人になって読み返してよかったと思う。じっくり二周目を読むか、まだ読んだことがない『フィーチャーウォーカー』を読むか、悩むところである。

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