おしゃべりを封印す。
思えば、わたしはとてもおしゃべりだった。
ひっきりなしに喋くりまくるおしゃべりではない。
どちらかというと、静かなタイプだ。
では、どのようにおしゃべりだったかというと、
言わなくてもよいことを言う。だれかれ構わずに。
一対一の場合も大いにあり、一対大勢の場でもやる。
とう具合だ。誰しもが似たようなひとを知っているであろう。
これが本当のおしゃべりだと思い知ったのがつい最近。
そして、考えに考えたところ、ある程度の結論が出て、
例のごとく、落ち込んでいる。
コレ、なにかというと、
自分に注目して欲しかったんだな。
もっと言うと、
自分をいろんな情報を持っているすごい人だと思って欲しかったんだ。
もちろん、そんな意識はない。ほかの意識もない。
つまりは無意識でやってたことであった。怖っっ!恥ずっっ!
わたしに限らず多くのひとは、
自分を認めてほしい。この自分という存在を大事に思ってほしい。
という気持ちはあると思う。私はこの気持ちが強い。
なに、崇めろとは言わない。適当に扱われたくないだけだ。
その手段として、わたしはおしゃべりという手法に出たんだ。
いつ、決めた始めたのかは・・・、やはり小学高学年ごろではなかろうか。
仲の良い友達に、さっき先生が〇〇ちゃんのこと怒っていたよ。
クラスメイトに、昨日▲▲君のお父さんが逮捕されたって。
職場でも、★★さんち別居したみたいですね。
職場チーム全体に、システムダウンしたのは、総務部の管理不足。
女友達に、あなたは優しすぎるから人に振り回されないように。
などなど。
嘘ではないが、どーでもいいことを言ってきた。
ポイントはここ。言わなくていいどーでもいいこと をだ。
35~6歳頃、はじめて人に指摘されたことも思い出した。
当時勤めていた会社の女社長、母と同じ年齢の方に、
あなた、おしゃべりね と。ハッとした記憶がある。
その時も恥ずかしさはあったが、気づいていないフリをした。
もうわかった。
誰にも注目されなくとも、わたしはわたしを注目し大事に扱っていく。
誰にそうされるよりも、一番の望みだったことがわかったからだ。
一方で、気づいたのは皮肉にも、
言わないといけないことを、いつも言えていないこと。
言わなくていいことばかりを言い続けてきた代償か。
この旅はまだまだ続く。