うつつの夢の裏話 夜釣りの河童
夜釣りの河童は私が幼い頃に、父が橋の上で夜釣りをしていた時の話です。
どうやって連れて来られたのか記憶になく、気が付いたら橋の上で毛布にくるまっていました。橋詰めで母と弟が遊んでいて、路面電車や車のヘッドライトが眩しいほど輝いて、母と弟の姿をくっきりと浮き彫りにしていたのを覚えています。
父は釣った魚を何故かすぐ川に戻しており、それがどうしてなのか疑問でした。
「まだ小さかったからね」
その時の理由はそれだけでした。幼心にも、その光景は三途の川のように感じました。結局その後の記憶もなく、夜釣りは後にも先にもその一回だけでした。
あの橋が何処の橋だったのか、大人になってから父に訊くと、駅前の大正橋だと言いました。それで何度か訪れたのですが、幼い時の印象と違い、車道が広く、河川公園が整備されていて、夜釣りをするような場所ではなかったです。
その後、仕事の都合で大正橋の近くにある別の橋を夕方に通った時の事です。周りの景色を見て夜釣りの思い出が覚醒しました。千と千尋の神隠しのような煌々とした提灯の明かり(居酒屋さんでした)と河川敷。戦争の爆弾に耐えたであろう黒くくすんだ石造りの欄干。毛布にくるまり寝転がっていた時に見た光景と感じがとても酷似して言いました。
橋の名前は猿猴橋。人間の生き胆を取ろうと手を伸ばした妖怪に、鰯の腸を掴ませて難を免れた老夫婦の伝説に出て来る妖怪河童の別名です。
最近、と言っても十年くらい前になりますが、猿猴橋はリニューアルしました。今では猿猴をモチーフにしたアイアンアートで拵えた欄干が施され、親柱に大正時代に武器製造の材料にと撤去されるまで有ったと言われる鷲のモニュメントを誂えた街灯が再現されました。父との思い出はすっかり様変わりです。
ところで、この猿猴橋の鷲のモニュメントについて、実は私には記憶に残っていることが有ります。
ずいぶん昔のことです。私は何故か、駅の南口に立っていました。その時、橋から人が落ちたと大騒ぎになり、 大勢の人が欄干に野次馬のごとく集まっていました。私はいつの間にかその野次馬の中に紛れていました。
小さかった私は野次馬の足元から見える欄干の隙間を覗きます。すると川に落ちた人が泳ぎながら船着き場を探している姿が見えました。
その時の猿猴橋は白っぽい石造りの欄干で、鷲のモニュメントが付いた街灯は、最近再現されたものととてもよく似ていました。
はてさて、この記憶は当然のことながら夢ですよね。いくら幼く見積もっても昭和中期生まれの私が、大正時代までに撤去された鷲のモニュメント付きの街灯を見ることはできないですからね~とは言え、猿猴橋が再現されるまでは、自分が本当にその光景を観た記憶だと思っていたのは事実です。
アメリカの認知心理学者ロフタスが行った記憶実験で「ショッピングモールの迷子」というものがあります。幼い子が体験していない迷子体験のエピソードを大人から聞かされた数日後、まるで本当に体験したかのように記憶され、事細かに情景を語ったというもの。それと似たことが夢を見た私の中で起きてしまったのでしょう。人間の記憶って、不思議ですね。
ところで、すっかりスルーしていましたが、物語のラストで私がお風呂で溺れていた件です。両親が私と生まれて間もない弟を一緒にお風呂に入れていた時の事です。湯船で遊んでいた私が足を滑らせて沈んだあと、弟の入浴に気を取られていた両親が私をすっかり忘れて風呂場を出てしまったそうです。弟の着替えを済ませたあと、私がいないことに気づいたそうで、その間が何分だったのかは解りませんが、私は湯船の底で目を開けたまま、湯に揺れる天井を眺めていました。いきなり父が私を担ぎ上げ、ようやく息ができて泣き出したのを覚えています。
(おわり)