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自らを受け容れ、赦すこと (有料記事)
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気がつけば八月も終わりにさしかかり、わたしの住まう地域の気温も少しずつ落ちついてきたように感じられます。朝晩なんかは多少は涼しさもあるようなないような。
ところで、季節の変わり目などには心身のバランスも崩しやすくなりがちです。気温も変化しますし、日照時間なんかも変わってきますしね。お仕事の内容によっては環境に変化が見られる頃合いかもしれません。いずれにせよ、そういった様々重なる小さな変化が心身に及ぼす影響たるや、なかなか侮れないものであることも確かです。
オカルトやスピリチュアルに携わる界隈に観を置く方のなかには、もしかすると何かの機会を得ての瞑想やアストラル旅などの経験をお持ちだとする方もいらっしゃるかと思います。その際に指導してくださる何方かが同席されていらしたとするならば、もしかすると「心身が不調なときは瞑想等は控えましょう」とするような内容もあわせて指導してくださっているかもしれません。というか、まともな方であればその旨はあわせて指導しているはずです。少なくとも当方ではそのようにお話しています。
ではなぜ心身が不調なときは瞑想等を控えたほうがよいというのか。答えは単純で、ろくな経験をしないからです。
小さな光源ひとつきりを手に、暗い道を歩いているとき、その闇の中に得体のしれない怪異を描き見て恐怖する人もいます。また、通りかかった猫に化け物の姿を重ね見てしまう人もいます。そもそも闇の深さに慄いて歩きだせない人もいますでしょう。そうしてその大半が、実際には自身から伸びる自分自身の影に怪異を見出しているだけにすぎなかったりもします。しかし、ごく一部の人は、仰ぎ見た真っ暗な夜空に満天の星を見たりもします。そういった人にとっては闇は決して恐怖の対象にならないものです。
では、この違いはなぜ生じるのでしょうか。
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