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師弟を結ぶということ
神秘行に関して師を持つということは、その師が歩んでいる道や属している体系に属するってことにも繋がるはずかと思います。これはじつは結構大きな影響を受けたりもします。それは現実的にも霊的にも。
まず現実的には、師とした人物が有する人としての質や周囲からの評判。周囲からの評判ってのはどうしようもなくくだらないものにも思えるのだけど、その人物がそれまで繰り返してきた言動により培われる部分が少なからずあるのも実際のはずです。それまでに何かしらやらかしてきたろくでもない人も界隈には少なくないものです。もちろん、根拠も何もない荒唐無稽な作り話を流されることもあります。
しかし面倒なことに、ろくでもない人ほど師になりたがるものでもあります。教えたがりともいいます。でもその人が持つ知識や情報が果たして習得するに足るものであるかどうか分からないものです。というか、大体の場合「師になろう」と主張してくる人ほど誤った知識や情報を有している率が高いようにも思われます。
「〇〇さんに師事することになりました」
その〇〇さんがろくでもない人の場合、弟子入りすることにした人も同様に扱われることも往々にしてあるものです。見る目がなかった、判じることができなかった。それはその時点でセンスの欠落を示唆するものですから。
そうして、霊的には。
気線と言われるものがあって、端的に言うと神仏との繋がりとか霊的なにがしかとの繋がりということですが、誰かに師事するということはその師が繋がるものとの気線に通じていく事でもあります。
厄介な人間と縁が繋がると断ち切るのが大変なのは確定的に明らかであろうと思われますが、それと同じで、気線が繋がった霊的なにがしかがまっとうな存在ではなかった場合、それを断ち切るのは非常に厄介になります。
また、厄介なものと繋がった場合、身辺にも変化が起こりやすいものです。神秘行でも結果を出しやすくなる。これを「効験が出た」などとするひとたちも多いです。でも神秘行修業というものは一朝一夕で結果が出るってことはまずないんです。
「生きた人間でも霊的なにがしかでも、やべえものほど自分と繋がろうと主張してくる」「やべえものほど繋がった相手を繋ぎ止めようとする」
最低限これらを頭にいれておくだけでも多少は違ってくるかもしれません。