神なるものと自分というものの位置関係
自分という存在を意識します。手足があり、胴体があり、頸を通り頭部に繋がります。では指先を意識してみてください。次いで、その指先で自身の心臓のあたりを触れてみてください。
われわれは物理的な肉体を得て現界に誕生しました。生あるうちは心臓が鼓動をきざみ、呼吸を繰り返します。胸を触れてみると心臓が鼓動するのが指先に伝わるはずです。
では再び指先を心臓のあたりから離してみてください。
われわれが神とする存在に関しては、それこそ宗教的なものなども多く関わります。が、ここでは漠然とした概念的な存在として考えてみてください。
心臓が神なる存在であると仮定したとき、われわれは心臓から遠く離れた指先に位置するものであると考えます。成長を重ねるほどに神が坐す位置から遠くなりやすくなっていきます。が、指先を動かして心臓のあたりに触れると、それだけでその鼓動を確かめられるはずです。つまり、われわれが能動的に神を感じようとするだけで、いつでもそこに坐す神なる存在を近くに感じられるということになります。
なお、心臓と指先の間に流れる血液を例えるならば、神とする存在とわれわれとの間に存在する精霊やそれに類する存在であると仮定付けていくことも出来ます。ゆえに、かれらはわれわれにとっても非常に近しい隣人であると理解出来るかと思います。