飯沼観音にさりげなくある貴重な土木遺産~飯沼水準原標石~
銚子の飯沼観音(圓福寺)の境内に足を踏み入れると,真っ先に大仏や五重塔が目にとまります。
ぜひ,五重塔の裏にも回ってみてください。
そこには非常に貴重な土木遺産が,さりげなく存在しています。
見た目は単なる四角い石ですが,これはなんと日本の河川測量の原点なのです。
そして,今,私たちが富士山などの標高を表すために使っている基準も,実はこの銚子の石から物語が始まっています。
この石は飯沼水準原標石といい,2015(平成27)年に土木学会選奨土木遺産に認定されています。
江戸時代末期は河川がほとんど放置されていたため,明治政府にとって河川の改修は緊急の課題でした。
そこで,明治政府はオランダの技術者たちを日本に呼び寄せました。
ヨーロッパの中でも特にオランダは,河川の土木技術が群を抜いていました。
オランダ人技師のリンド(I.A.Lindo)は,1872(明治5)年に来日すると早速,利根川と江戸川の測量に着手しました。
リンドはまず8月に,江戸川河口の堀江(現在の浦安市)にある清瀧(せいりゅう)神社の境内に堀江水準標石を設置しました。
そこからリンドの水準測量ツアーが始まります。
リンドは,堀江から江戸川を北に遡って進んでいき,関宿(現在の野田市)まで行ったところで今度はそこから利根川を東に下っていくルートで,水準測量を行っていきました(島崎武雄・市川幸男「明治5年(1872)のオランダ人お雇い技師リンドによる水準測量旅行と堀江Y.P.水準標石設置」)。
10月に銚子の飯沼に到着したリンドは,飯沼観音の境内に水準原標石を設置しました。
そして,「この原標石は利根川の水位ゼロから8.8697mの高さである」として,利根川の水位ゼロを J.P. と定めました(=飯沼水準原標石は J.P.+8.8697m)。
J.P. は Japan Peil の略で,日本水位尺と訳します(Peilはオランダ語で水準面)。
そしてリンドは,その J.P. を基準にして江戸川の水位ゼロを J.P.+0.3364m とし,これを Y.P. と定めました(Yedogawa Peil)(最初に設置してあった堀江の原標石は J.P.+2.6151m)。
さらに翌年の1973(明治6)年,リンドは,当時の荒川の本流だった隅田川の河口の霊岸島で,荒川の水位ゼロを A.P. と定めました(Arakawa Peil)(A.P. = Y.P.-0.2942m)。
リンドは,1875(明治8)年に帰国しました。
平らな国土のオランダの技術は,高低差が大きく流れも急な日本の川には,用いるのが難しいものでした。
また,日本の交通の中心が船から鉄道に移り,当初の川の利用よりも治水のほうが重視されるようになりました。
そのため,オランダ人技師たちの活躍の場が失われてしまったのでした(測地部・箱岩英一「河川・水路・港湾の基準面について」)。
しかし,リンドの帰国後の1883(明治16)年,彼が定めていた A.P. をベースにして,東京湾の平均海面の高さをゼロとした東京湾中等潮位(T.P.)が定められました(T.P. = A.P.+1.1344m)。
この T.P. が,日本各地の土地の高さを表す基準として現在も広く一般的に使われています。
測量法という法律が,日本における高さを「平均海面(=T.P.)からの高さ」で表示する,としているのです(測量法11条1項一号)。
国会議事堂の前庭に,日本水準原点があります。
これは,日本での高さを決めるための大事な基準です(測量法11条1項三号)。
「日本水準原点が T.P. からどのくらいの高さにあるか」が示されているので,ある場所の高さを知りたければ,日本水準原点との高さの差を調べれば,その場所の T.P. からの高さもわかる,というわけです。
この日本水準原点は,1891(明治24)年に設置された当初は,東京湾の平均海面から24.5m高いところにある,とされていました(T.P.+24.500m)。
その後,1923(大正12)年の関東大震災と2011(平成23)年の東日本大震災で地殻変動があったため,現在,この日本水準原点は T.P.+24.3900m となっています(測量法施行令2条2項二号)。
リンドが銚子で一番最初に定めた J.P. は,現在は使われていません。
今,日本のほとんどの河川は T.P. で測量が行われています。
もっとも,リンドが定めた Y.P. や A.P. は,特殊基準面として,今も利根川水系,荒川・多摩川水系の河川の工事や計画に使われています。
リンドが銚子で飯沼水準原標石を設置し,国内最初の基準 J.P. を定めたことは,今も使われる Y.P. や A.P.,そして A.P. をベースにした日本での高さの基準 T.P. へと,今の私たちの生活に密接に繋がっているのです。
しかし,この飯沼水準原標石は長い間,人々から忘れ去られていました。
先日,旧西廣家住宅の倉庫の記事で書いたように,銚子は終戦直前に大空襲の被害を受けており,飯沼観音も焼失しました。
戦後復興の際,飯沼観音の焼け跡をブルドーザーでならそうとしたところ,原標石は地中深く埋め込まれていたため,動かせずに残ったのだそうです。
その後,この原標石の存在は全く忘れ去られ,寺の駐車場の一角に放置されていました。
しかし,測量史研究者の加藤紀宏氏がこの保存と整備を訴え,1999(平成11)年に柵と説明板が設置されました(島崎武雄「堀江と銚子の水準標石」月刊地図中心2008年11月号)。
そして,この重要な価値が評価され,2015(平成27)年に土木遺産に選定されるまでになったのです。
飯沼観音に千葉県唯一の五重塔が建てられたのは,意外と最近の2009(平成21)年のことです。
飯沼観音に訪れた際には,ぜひこの五重塔の裏に回って,この飯沼水準原標石をご覧下さい。
五重塔の裏にはさらに,1907(明治40)年創業の元祖今川焼の超人気店「さのや」があります。
測量の原点に触れたあとは,餡のたっぷり入った美味しい今川焼をぜひお召し上がりください。
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