銚子土産の定番,ぬれせんべい
銚子土産の定番といえば,ぬれせんべい。
パリッとした普通のせんべいに慣れている方は,初めてぬれせんべいを食べた時に「しけっている」と感じます。
しかし,醤油がしっかり染み込んだ柔らかいぬれせんべいには,誰もが次第に虜になっていきます。
一般的なせんべいは,生地を焼いた後,ある程度冷ましてから醤油に漬けます。そうしないと,生地と醤油の温度差が大きいために,醤油が中まで深く染みこんでしまうのです。
ぬれせんべいはそこをあえて,せんべいの焼きたて直後,生地がまだ熱いうちに醤油をしっかり染み込ませて作られます。
銚子は醤油が非常に有名です。醤油については,また別の記事で詳しくご紹介します。
さて,ローカル鉄道の銚子電鉄は,これまで何度も廃業の危機に直面してきました(危機は現在進行形でもあります)。
その銚子電鉄を救っているのが,このぬれせんべいです。
自家用車の普及と少子化によって乗客が減る一方の銚子電鉄は,「およげ!たいやきくん」ブームに乗って1976(昭和51)年に鯛焼きの製造販売を始めるなど,副業に力を入れてきました。
1995(平成7)年,銚子電鉄はぬれせんべいの製造販売を始めます。
ぬれせんべいは銚子名物ではあっても全国的にはまだ知名度が低かったのですが,翌年の1996(平成8)年,タレントの山田邦子さんがテレビ番組「はなまるマーケット」第1回ゲストとして出演した際に「大好物」と紹介してくれたことで,ブームになりました。
1999(平成11)年の銚子電鉄のぬれせんべいの売上は約2億5000万円で,鉄道部門の約1億4000万円を大幅に上回りました(竹本勝紀・寺井広樹「崖っぷち銚子電鉄なんでもありの生存戦略」37頁)。
ぬれせんべいは,銚子電鉄をさらなる危機から奇跡的に救い出します。
2003(平成15)年当時,銚子電鉄の親会社は建設会社で,その社長が銚子電鉄の社長も兼ねていました。
建設会社はバブル崩壊の波を受け,多額の負債を抱えていました。
社長は,銚子電鉄名義で借り入れた1億950万円を,建設会社のほうの債務弁済に充ててしまったのです。
銚子電鉄は2004(平成16)年にこの社長を解任し,特別背任罪(旧商法486条1項,現会社法960条1項)で告訴しました。
前社長は2006(平成18)年に逮捕され,2007(平成19)年6月11日,千葉地裁で業務上横領罪(刑法253条)で懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を言い渡されました(前社長は公判中に3300万円を銚子電鉄などに返済し,残額を分割で支払う旨の示談をしています)。
この事件によって銚子電鉄は行政から補助金を受けられなくなり,金融機関からの信用も失いました。
その結果,電車の運行に不可欠な法定検査費用も払えなくなり,国交省関東運輸局から改善命令を出されてしまいます。
電車を走らせること自体ができなくなるかもしれないという瀕死状態の銚子電鉄は,ぬれせんべいのオンラインショップを慌てて立ち上げました。
そして2006(平成18)年11月,銚子電鉄は自社のホームページ(ウェブサイト)に,「ぬれ煎餅を買ってください!!」「電車修理代を稼がなくちゃ,いけないんです」という悲痛な叫びを掲載しました。
すると,全国の鉄道ファンやネット掲示板を見た方たちから注文が殺到し,テレビでも取り上げられて,銚子電鉄は奇跡的にこの危機を乗り切ることができたのです。
帝国データバンクでは,銚子電鉄の業種は「普通鉄道業」ではなく「米菓製造」で登録されています。
私は,銚子土産としてこのぬれせんべいを配り回るだけでなく,仕事やプライベートでお世話になった方へのお礼もオンラインショップで発注しています。
限られた社員数で対応しているため商品の発送がちょっぴり遅いのですが,そこもまた良いところです。
ぬれせんべい発祥の店は,港町の路地裏にある柏屋です。
柏屋さんは1915(大正4)年創業で,二代目の横山雄次さんが1960(昭和35)年頃から「おまけ」として配ったのが,ぬれせんべいの始まりでした。1963(昭和38)年に初めて商品化されましたが,当時の常識からは大きく外れているため,お土産や贈答でもらった人が「しけっている」と店にクレームを入れてくることが絶えなかったそうです。
なお,「ぬれせんべい」は一般名詞ですが,「ぬれせん」は柏屋さんの登録商標です。
1950(昭和25)年創業のイシガミも,銚子で有名なぬれせんべいのお店です。
犬吠駅近くに本社があり,銚子駅前にもお店があります。
銚子電鉄にぬれせんべい作りのノウハウを指導してくれたのが,このイシガミさんです。
ぬれせんべいの味比べに,ぜひ何度も銚子に足を運んでみてください。
私のように血圧が気になるお歳頃のお客様には,塩分を控えた薄味もございますので,どうぞご賞味ください。